ドラマ『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』でオカン役を演じた女優の倍賞美津子さんは、お姉さんも女優として活動しています。
ご両親はどんな人で、幼い頃はどんな環境で育ったのでしょうか。
今回は、倍賞美津子さんの両親や兄弟、生い立ちについて調べてみました。
倍賞美津子の姉は倍賞千恵子!
#ゲド戦記
— ふらんすパァ〜ン@永遠のさんごちゃん推し・永遠のオルテカ様信者💜涼芝長希【フォロバ1000%】 (@Senri_Kawaiiyo) April 9, 2021
女主人役の倍賞美津子さん(左)は、先週放送されたハウルの動く城のソフィー役の倍賞千恵子さん(右)の妹です。 pic.twitter.com/D9QmKD1Grl
倍賞美津子さんのお姉さんは、女優の倍賞千恵子さんです。
倍賞千恵子さんは、1954年に「ひばりの赤ちゃん」で歌手デビュー、みすず児童合唱団を経て、1960年に松竹音楽舞踊学校を首席で卒業し、松竹歌劇団13期生として入団しました。
歌手としては『下町の太陽』で第4回日本レコード大賞新人賞を受賞し『NHK紅白歌合戦』にも4年連続出場、女優としても『男はつらいよ』や『遙かなる山の呼び声』などでブルーリボン賞助演女優賞、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞等を受賞しています。
ジブリ作品の『ハウルの動く城』のソフィー役を演じたことでも、話題になりました。
倍賞美津子さんと倍賞千恵子さんは『純情二重奏』で異母姉妹を演じるなど仕事で共演しており、私生活でも仲良し姉妹なんだそうですよ。
倍賞美津子は5人兄弟で他の兄弟は?
今日は #荒川線の日 だよ。荒川線は現在運行されている唯一の都電なわけだけど、都電と聞いて俺が思い出すことといえば、やはりプロレスのことなんだ。その理由は倍賞美津子・鉄夫姉弟 (+千恵子&明姉弟) のお父さんは都電の運転士、お母さんは都電の車掌だったからだよ。 pic.twitter.com/oyP7yCDxvq
— ラッシャー (@Rusher_415) October 1, 2019
倍賞美津子さんには、倍賞千恵子さん以外にも、お姉さんとお兄さん、そして弟さんがいます。
長姉の倍賞節子さんは一般人のようで、情報はありませんでした。
長兄の倍賞明さんは、「日産自動車」硬式野球部元監督で、日本大学第三高等学校甲子園準優勝時のメンバーとして活躍しましたが、2019年1月に亡くなっています。
弟の倍賞鉄夫さんは、長年新日本プロレスでリングアナを務め、後に猪木事務所社長に就きました。
倍賞哲夫さんも2017年8月に天国へと旅立っています。
倍賞美津子の生い立ち
先日は #倍賞美津子 さんの取材日でした。
— 映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』 (@bokuiko_movie) December 28, 2018
朗らかに自由に、本当に貴重なお話を沢山聞かせていただきました。
倍賞さんが生き生きと演じる母・明子にご期待ください。
取材終わりにパシャリ📸#ぼくいこ pic.twitter.com/248ZIJUWfY
倍賞美津子さんは、疎開先の茨城県で生まれ、4歳のときに東京都北区滝野川に移りました。
食糧難のひどい時代だったため、幼い頃はスイカやトマトを近所の畑からたびたび失敬し、お腹の足しにしていたそうです。
その時の青くさいトマトの味は、今でも忘れられないと明かしていました。
倍賞美津子の父親
倍賞美津子さんのお父さんは、倍賞美悦さんと言います。
職業は、東京都電の運転士でした。
お父さんは15歳の時に「東京都電」の少年車掌の試験を受けて合格したのだそうです。
倍賞美津子の母親
倍賞美津子さんのお母さんは、倍賞(旧姓:青木)はなさんと言います。
お母さんは、茨城県真壁郡大和村(現:桜川市)出身で、小学校卒業後に東京で女子車掌になりました。
倍賞美津子さんの両親は、当時としては珍しい職場結婚だったのだそうです。
まとめ
戦後に誕生した倍賞美津子さんですが、幼い頃は決して余裕のある暮らしではありませんでした。
それでも女優という道に進み、今では日本を代表する女優の一人になったのです。
これからもお姉さんと共に、映画やドラマの世界を盛り上げていってほしいと思います。