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松尾諭の兄の死因は?実家と父親と母親・高橋一生との関係も調べてみた

matsuosatoru_family 俳優
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俳優の松尾諭さんは、両親、そしてお兄さんの4人家族で育ちました。

しかしお兄さんとは15年も絶縁していたなど、関係はあまり良好ではなかったそうです。

今回は、そんな松尾諭さんの両親やお兄さん、俳優・高橋一生さんとの関係などについて調べてみました。

松尾諭の兄はどんな人?アメリカにいた?

松尾諭さんには、武志さんというお兄さんがいます。

武志さんは松尾諭さんが役者になるために上京した頃に単身渡米、アメリカの大学に通っていました。

祖母が体調を崩し、武志さんに会うことを望んでいたにもかかわらず武志さんは日本に帰国せず、そのまま祖母が亡くなってしまったことから松尾諭さんとお兄さんは絶縁、連絡を取ったり直接会うことはありませんでした。

武志さんはアメリカのレストランで働いていたそうですが、松尾諭さんと絶縁してから15年経ったある日、松尾諭さんの元にアメリカから「武志さんが脳卒中で倒れた」という連絡が来たのです。

そして松尾諭さんはアメリカに渡り、15年ぶりに武志さんと再会しました。

松尾諭さんの著書『拾われた男』でお兄さんについて触れたことで松尾諭さんにお兄さんがいたこと、15年も絶縁だったことが明らかになりましたが、当初松尾諭さんはおにいさんのことをこの本で綴るつもりはなかったそうです。

お兄さんに対する気持ちがわからず、文章にすることで何か答えが見つかるのではないかと思ったものの、結局松尾諭さんの気持ちはモヤモヤしたままだと話していました。

松尾諭の兄は亡くなった話は実話で死因は?

松尾諭さんの兄である武志さんは、すでに亡くなっています。

亡くなった時期や原因などは明かされていないため、分かりませんでした。

お兄さんはアメリカで脳卒中で倒れましたが、その後日本に戻り、両親とも再会したそうです。

『拾われた男』ではその後について触れられていませんが、ネット上では脳卒中の再発など、病気で亡くなった可能性が高いのではないかと噂されています。

松尾諭の実家は西宮?

松尾諭さんは、兵庫県尼崎市で誕生しました。

東証期は尼崎で育ちましたが、中学生の時に西宮市に引っ越し、武庫川団地で生活していました。

現在も実家が武庫川団地にあるのかは不明です。

松尾諭の生い立ち

1975年12月7日に誕生した松尾諭さんは、高校時代に役者を目指し始めました。

その後大学に進学するも中退して上京、たまたま自販機の前に落ちていた航空券を警察に届けたところ、落とし主が現在の所属事務所の社長だったことが縁で、事務所に入りました。

そして2000年の映画『忘れられぬ人々』で、役者デビューを果たしています。

松尾諭の父親

松尾諭さんのお父さんは、一般人です。

名前や年齢、顔写真などは公開されていません。

お父さんは無口な人だったそうです。

松尾諭の母親

松尾諭さんのお母さんも一般人です。

お父さんと同じく情報はありませんでした。

お母さんはお父さんと反対で喋るタイプの方だったそうですよ。

松尾諭の高橋一生との関係

松尾諭さんは、高橋一生さんについて「一番のファン」と明かしています。

きっかけはドラマの共演で、そのことを映画『SP』で一緒だった岡田准一さんに話したところ、岡田准一さんは高橋一生さんと高校の同級生だったため、松尾諭さんは勝手に親戚のような気持になり、「一生君と仲良くなろう」と決めたのだそうです。

そして今では双方のファンも知るほどの深い関係になりました。

松尾諭さん曰く「多分、僕みたいにズカズカ踏み込んでくる人がいなくて珍しかったんでしょうね。だから今でも拒まれることもなく、関係が続いている」とのことです。

また今は高橋一生さんの俳優としての活動に「尊敬」の思いもあるのだそうです。

まとめ

明るく親しみやすさがある松尾諭さんですが、幼少期から明るい家庭で育ったわけではなく、お兄さんとの関係も円満ではありませんでした。

そのため家族については多くを語っていませんが、今は松尾諭さんも自身の家庭を持ち、俳優としても成功しています。

松尾諭さんの今の幸せがずっと続いていくよう、応援していきたいと思います。

俳優
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