太田光さんと太田光代さんといえば、おしどり夫婦として知られる存在ですが、ふと「なぜ子供がいないのだろう?」と気になったことはありませんか。
長年連れ添い、公私ともにパートナーである二人に、どんな事情があったのか……背景を知りたくなる方も多いはずです。
また、そもそもどんなきっかけで結ばれたのか、馴れ初めについても興味をそそられますよね。
テレビでは見えない部分にこそ、その人らしさが表れるもの。最近では「離婚危機」のような言葉もネット上にちらつき、不安に感じた方もいるかもしれません。
この記事では、太田光さんと太田光代さんが子供を持たなかった理由や出会いのエピソード、さらには離婚の噂の真相まで、できるだけ丁寧にお伝えしていきます。
二人の関係をあらためて見つめ直すきっかけになるかもしれません。
太田光と太田光代の子供がいない理由
テレビや舞台で活躍を続ける太田光さんと、その活動を支える実業家の太田光代さん。
長年にわたっておしどり夫婦として知られるおふたりですが、「なぜ子供がいないのだろう?」と気になった方も多いのではないでしょうか。
実は太田光代さんは、かつて不妊治療に取り組んでいたことを公表しています。
もともと太田光さん・太田光代さんの両方が一人っ子だったこともあり、「両親に孫の顔を見せてあげたい」という気持ちは少なからずあったようです。
こうした想いを胸に、結婚10年目に不妊治療をスタートされました。
最初に行ったのは人工授精です。身体への負担が比較的少ない方法ではあるものの、治療に伴う心身のストレスは相当なものでした。
光代さんは治療のたびに体調を崩し、数日間寝込むこともあったそうです。
不妊治療は肉体的な痛みだけでなく、精神面でも非常に大きなプレッシャーを伴うことが、このエピソードからも感じ取れますよね。
人工授精は計4回チャレンジしたものの、いずれも結果にはつながりませんでした。
一旦治療を中断した後、今度はより高度な「顕微授精」に進み、再び3度のトライを重ねます。
しかし、こちらも妊娠には至りませんでした。
一般的に、顕微授精は体外受精よりもさらに繊細な技術を要する高度生殖医療です。
成功率も高いとされますが、年齢や体質、さまざまな要因が複雑に絡むため、誰にでも確実に効果があるわけではありません。
太田光代さんのように、治療に真剣に取り組んでも結果が伴わないケースも少なくないのが現実です。
ただ、この経験を経た太田光代さんは、「子供がいない人生も十分に豊かである」と自然に受け止めるようになったと語っています。
この前向きな姿勢は、多くの人にとって勇気になるのではないでしょうか。
一方、太田光さんも光代さんの気持ちに寄り添い、無理に子供を望むような言動をとることはなかったようです。
子供がいる・いないに関係なく、互いに思いやりと尊重の気持ちを持ち続けているからこそ、長年にわたる強い絆が育まれているのかもしれませんね。
現代では「子供を持たない夫婦」への理解も少しずつ広がってきましたが、それでも社会からの無言の圧力に悩まされる人は少なくありません。
太田夫妻のように、自分たちの人生に責任を持ち、納得のいく選択を貫いている姿は、多くの夫婦にとってひとつの指針になるでしょう。
子供をもたない理由は決してひとつではありません。
そしてその背景には、深い思慮と選択があることを、私たちは忘れてはならないのかもしれませんね。
太田光と太田光代の馴れ初め
太田光さんと太田光代さんといえば、芸能界きってのおしどり夫婦として知られていますよね。
長年連れ添いながらも、お互いを尊重し合う姿勢が印象的ですが、その馴れ初めは少しユニークで、まるでコントのような出来事がきっかけだったのだとか。
ふたりが出会ったのは、まだ芸人として下積み時代を送っていた頃。太田光さんは爆笑問題として活動を始めたばかりで、太田光代さんも同じ「太田プロダクション」に所属し、芸人として舞台に立っていました。
最初は仕事仲間として関わるなかで、ある日、事務所の若手芸人たちによる合同コント企画が持ち上がり、その打ち合わせが光代さんの自宅で行われることになったそうです。
この場には、太田光さんに好意を寄せる女性芸人も同席しており、かなり積極的にアプローチしていたようです。
そこで、太田光さんが困っている様子を察した光代さんは、さりげなく自分の隣に座らせてあげたのだとか。
その気遣いに対し、太田光さんは「これは自分に気があるに違いない」と勘違いしてしまったというから驚きですよね。
「太田は一度家に来てから、なぜか帰らなかった。いきなり居座りはじめて、そのまま同棲になったんです」
── 出典:婦人公論.jp|太田光代、結婚のきっかけは“帰らない男”
このエピソードは笑い話のようにも聞こえますが、光代さんの思いやりと、太田さんの突き抜けた行動力が重なったからこそ生まれた偶然の縁だったのかもしれません。
結果的にこの“居座り事件”をきっかけに、ふたりは自然と同棲生活に入り、交際を経て1990年に結婚。結婚に至るまでの交際期間は2年ほどだったと言われています。
冷静に考えればかなり突飛な馴れ初めですが、ふたりにとっては「気づけば一緒にいた」という、自然な流れだったのかもしれません。
一般的な恋愛の型に当てはまらなくても、感性や価値観の相性がぴったり合えば、むしろそれが長続きする秘訣になることもありますよね。
また、この“馴れ初め”にはもうひとつ注目すべき点があります。
それは、太田光代さんが一貫して太田光さんを支え続けてきたという事実です。
芸人としての芽がなかなか出なかった時期、体調を崩した時期、メディアからバッシングを受けた時期も含めて、光代さんは事務所の社長として、また妻として太田光さんを支え続けてきました。
こうした背景を知ると、ただのユニークな出会い話ではなく、「お互いの人生を本気で引き受けた」ふたりの覚悟が感じられます。
今なお多くの人に愛される太田夫妻の関係性は、そんな小さなきっかけから生まれ、信頼の積み重ねによって築かれてきたのかもしれません。
太田光と太田光代の結婚式
結婚当初は生活していくのも一苦労だった状況で、太田光代さんは『結婚式もしてないし、新婚旅行も行ってない』と話していました。
せめてウェディングドレス写真は残したいと思っていたそうです。
そこで結婚25周年を迎えた2015年2月、桂由美さんの50周年記念コレクションに、太田光代さん光さん夫婦がゲストとして参加。
ウェディングドレスを着た太田光代さんとタキシードを着た太田光さんは、ステージ上で式を挙げました。
太田光さんは『いつも美しいですけど、いつもにましてきれい』と照れていて、太田光代さんもとても嬉しかった様子。
長年の夢が叶って、太田光代さんにとって幸せな1日だったでしょうね。
太田光と太田光代が離婚の危機って本当?
太田光代さんは、2022年8月放送NHK『ふたりのディスタンス』の密着取材を受けました。
その時太田光代さんは、『家では全部別々で、食事も一緒に摂ることはない』と明かしています。
空気みたいな夫婦関係と、いっさい愛情表現をしないところがどうしても嫌だった太田光代さんは、何度も離婚を考えたことがあるとも話していました。
一方で夫の太田光さんは、『離婚したらどうにも生きていけない気がする』と対照的な様子。
太田光代さんは『離婚の手続きもすべて自分でして、若い女と再婚されたらたまらない』とも言っていて、なかなか踏み切れない理由があるようです。
しかし、太田光代さんは不妊治療をしていた時、医師の診断で『自然妊娠は難しい』と判断されました。
孫の誕生を熱望していた太田光さんの父親に事実を伝えると、医師の判断を認めなかったそうです。
すると太田光さんは『データとして出てるんだからしょうがないだろ』とかばってくれて、太田光代さんは気持ちに残っていると話しています。
離婚を考えつつも、太田光代さんは太田光さんのことが大好きなのでしょうね。
なんだかんだ太田夫妻には、離婚せずにずっと夫婦でいて欲しいと思います。
まとめ
太田光代さんは不妊治療に何度も挑戦して、大変な日々を乗り越えてきました。
太田光さんの勘違いから始まった2人の関係でしたが、結婚33年目を迎えています。
離婚も考えたという太田光代さんでしたが、これからも仲良の良い夫婦でいて欲しいですね。






