『ごくせん』や『TRICK』、『あなたの番です』など多数のドラマ作品に出演し個性的な演技を披露している生瀬勝久さんは、どの作品に出演しても存在感がある俳優の一人です。
そんな生瀬勝久さんですが、過去には出演番組を降板したり、改名をしたという情報がありました。
今回は、生瀬勝久さんのプロフィールや、過去について紹介します。
生瀬勝久は若い頃に干されていた?
生瀬勝久さんは、1988年から放送が開始されたバラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』に第1回目から1990年4月まで探偵局員として出演していました。
第1回目では1985年の阪神優勝で道頓堀に投げ込まれたカーネルサンダースの人形の捜索を担当します。
1990年4月に、ある出来事が起こりました。
戦時において「大日本帝国陸軍大阪八連隊」の敗走に次ぐ敗走が風刺や膨張、カリカチュアされた読み物の形で新聞記者になった連隊の取材を担当した生瀬勝久さんの調査結果に、上岡鶴太郎さんが指摘したことで収録が中止になりました。
その後、事態を重く見た番組サイドの意向により生瀬勝久さんは、この放送以降番組に出演せず降板しています。
当時の映像が公開されていないため上岡鶴太郎さんがどの様な行動をとったかは分かりませんが、生瀬勝久さんが発した言葉にかなり激怒したそうですよ。
また上岡鶴太郎さんは、大学卒業という高学歴な生瀬勝久さんのインテリが気に食わなかったという噂も聞かれていました。
このようなことから「生瀬勝久さんは干された」といわれていますが、番組降板後は役者として活躍しているため仕事が激減し、干されたというようなことはありません。
生瀬勝久と上岡龍太郎のその後の関係
生瀬勝久さんは『探偵!ナイトスクープ』を降板した後、この番組ではもちろんのこと他の番組でも上岡鶴太郎さんとは一切共演していないようです。
上岡鶴太郎さんや生瀬勝久さんが共演をNGにしているのかまでは分かりませんが、上岡龍太郎さんは既に芸能界を引退しており、二人が揃って番組に出演することは今後もないかもしれませんね。
生瀬勝久のプロフィールや経歴
生年月日:1960年10月13日
出身地:兵庫県
血液型:O型
身長:178cm
趣味:釣り
特技:ゴルフ
所属事務所:リコモーション所属
生瀬勝久さんは、大学時代、劇団『第三劇場』に所属していました。
辰巳辰郎さんにスカウトされ、1983年に京都大学系の辰巳辰郎さんが2代目座長を務めていた劇団『劇団そとこばち』に入団しました。
大学卒業後は内定を蹴って役者の道に進み、1988年に4代目『劇団そとこばち』の座長に就任します。
劇団では、演出家、劇作家も務めました。
同年に放送されていた深夜コント番組『週刊テレビ広辞苑』にレギュラー出演し人気を得ると、『探偵!ナイトスクープ』や『現代用語の基礎体力』、『未確認飛行ぶっとい』などにも出演していました。
さらにNHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』にレギュラー出演し、1990年半ば頃からはテレビドラマに多く出演するようになったため2001年に『劇団そとこばち』を退団しています。
2010年に放送されたドラマ『警部補 矢部謙三』で連続ドラマ初主演、2012年には『スープ~生まれ変わり物語~』で映画単独初主演を果たしています。
違う芸名で活動していた
生瀬勝久さんは、1988年まで「槍魔栗三助」という芸名で活動していました。
しかしNHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』に出演することになり、この芸名はNHKにふさわしくないということで本名である「生瀬勝久」に変えたのです。
その後も「槍魔栗三助」で活動していましたが、テレビドラマに本格的に進出するにあたり改名し、生瀬勝久さんは過去の芸名について触れなくなったため「槍魔栗三助」の名は黒歴史と呼ばれています。
生瀬勝久の出身高校や大学
生瀬勝久さんの出身学校について調べてみました。
生瀬勝久が通っていた高校は、兵庫県立宝塚高等学校です。
高校時代はバレーボール部に所属していたそうですが、あまり情報がありませんでした。
高校を卒業した生瀬勝久さんは、同志社大学に進学します。
大学では、文学部社会学科に在籍していました。
大学時代についても情報はありませんでしたが、6年かけて卒業しています。
劇団での生活が中心となってしまっていたのかもしれません。
他劇団からスカウトされるほどなので、当時から生瀬勝久さんの演技は人を惹きつけるものがあったのだと思います。
まとめ
過去には深夜番組に出演するなど、今とは少し違う活動をしていましたが、そんな過去があるから生瀬勝久さんは様々なキャラクターを演じられるのかもしれません。
今後も生瀬勝久さんの活躍に注目していきたいと思います。