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山川静夫アナの現在は?息子や家族?脳梗塞や失語症は治った?尊厳死とは

yamakawashizuo_carrer アナウンサー
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「NHKの看板アナ」として話題を集めていた山川静夫アナは、現在フリーアナウンサーやエッセイストとして活躍しています。

そんな山川静夫アナが過去に患った病気はどんな病気なのでしょうか。

今回は、山川静夫アナの経歴や病気、家族について調べてみました。

山川静夫アナは脳梗塞や失語症になっていた

山川静夫アナは、2000年に脳梗塞を発症しました。

1999年のクリスマス頃からお酒を飲んで大騒ぎする生活を送っていた山川静夫アナは、2000年1月16日に自宅で鍋を食べた後に身体の異変に気付き、奥さんが救急車を呼んで病院に運ばれました。

山川静夫アナは、心臓にできた血栓が脳に飛んで、左の側頭部の言語中枢の入り口のところに詰まってしまう「心原性脳塞栓症」という病気を発症しました。

すぐに病院に行けたこと、「t-PA」という薬を使う血栓溶解療法が功を奏し、マヒは体の一部で済んだそうです。

失語症が残ったものの、2カ月半の入院生活の中でテープレコーダーを持ち込んで発声訓練をし、日記をつけて頭で考えたことを文章にするなどのリハビリを行い、回復しました。

現在は自身の体験をもとに講演会も行っており、その中では「今も心房細動は残っています。だけど、血栓ができるのを予防するワーファリンという薬で脳卒中の再発を防いでいます。私はまだ闘病中」と話していました。

山川静夫アナの息子や嫁はどんな人?

山川静夫アナは既婚者です。

しかし奥さんに関する情報は一切明かされておらず、分かりませんでした。

また子供も息子さんが1人いると噂されていますが、名前や年齢は不明です。

アナウンサーやタレント、俳優などの芸能界には進んでいないようですね。

山川静夫アナの尊厳死って?

山川静夫アナについて調べてみると、「尊厳死」というワードが浮上します。

こちらは2019年の映画『山中静夫氏の尊厳死』がきっかけのようです。

パッと見は「山川静夫」にも見えてしまいますが、山川静夫アナがこちらの作品に出演しているというわけではなく、繋がりはありません。

山川静夫アナのプロフィールや経歴

名前:山川静夫
生年月日:1933年2月27日
出身地:静岡県
血液型:非公開
身長:非公開

1956年の大学卒業後にNHKに入局した山川静夫アナは、青森や仙台、大阪での勤務を経て、1968年に東京アナウンス室に配属になりました。

生活科学番組の司会を15年に渡って担当し、『NHK紅白歌合戦』では総合司会や白組司会に抜擢、1974年から1982年まで白組司会を9年連続で務めた記録は、連続白組司会の最長記録になっています。

また山川静夫アナは、史上初且つ男性では唯一の昭和・平成の紅白での双方司会経験者でもあります。

1972年にチーフアナウンサーになり、チーフアナウンサー(局長級)から1988年に理事待遇、1990年に特別主幹(専務理事待遇)職に就任し、1994年3月に定年退職しました。

1991年からは国語審議会委員を務め、芸能評論家として雑誌・単行本に評論・エッセイを執筆するなどマルチな活動を続けています。

NHKのどーもくんの声も担当している

1998年、NHK-BS放送開始10周年を記念してイメージキャラクター「どーもくん」が誕生しました。

このキャラクターは基本的に言葉は話せないものの、山川静夫アナを真似て「どーも」とだけ言うことが出来るという設定になっています。

その「どーも」という声は、山川静夫アナが担当しています。

まとめ

NHKの様々な番組に出演していた山川静夫アナは、病気を乗り越え今も活動を続けています。

高齢ということもあり、今後も自身の身体を一番に、無理のないペースで頑張ってほしいですね。

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