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千玄室(15代)の妻登三子の死因や馴れ初めは?自宅がすごい!年収は?

sengenshitsu_couple 文化人

茶道裏千家前家元現在は大宗匠の千玄室さんは、1952年に結婚しました。

奥さんはすでに亡くなっているということですが、どんな人だったのでしょうか。

今回は、千玄室さんの奥さんや自宅、年収などについて調べてみました。

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千玄室(15代)の妻は千登三子

千玄室さんの奥さんは、千登三子さんです。

1930年に誕生した千登三子さんは、25歳で千玄室さんと結婚し、国際茶道文化協会会長を務め、国内外で茶道の普及に全力を注ぎました。

また職業婦人による世界最大の奉仕団体「国際ソロプチミスト」の日本財団理事長、日仏文化協会理事として、海外の活動にも着物で出席をしていました。

1989年には藍綬褒章を受章しています。

千登三子の死因は?

千登三子さんは、1998年に68歳で亡くなりました。

死因については明かされていないため、分かりません。

亡くなったのは突然のことだったようで、千玄室さんは千登三子さんを失ったショックから当時は「半泣きになりながら毎朝散歩していた」、「自分も死ぬことばかり考えていた」と語っていました。

千玄室(15代)と千登三子の馴れ初め

千玄室さんと千登三子さんの出会いは、お見合いでした。

茶道の普及をめざして国内外を飛び回る日々を送るうち、いつしか30歳を過ぎていたという千玄室さんは、当時男性が30歳を過ぎても独身というのが珍しかったため周囲から「そろそろ…」という声が聞かれていたそうです。

そんな時にお見合いの話が持ち上がり、お相手は江戸時代から続く近江の豪商の家系で、明治以降は東京で繊維の総合商社を営む塚本家の三女・登三子さんだったのです。

ごく自然な笑顔のお見合い写真を見て、千玄室さんは「会ってみたい」と思い、実際に会った時も「清楚な印象で、話してみると頭の回転が速くインテリジェンスを感じる女性」と好印象だったことから千玄室さんはすぐに結婚を意識しました。

しかし千登三子さんの方は「パリに留学したい」とフランス語を勉強中で、家族も「遠い京都の、しかも茶道の家元の長男に嫁ぐなどとんでもない」と反対したことから結婚に消極的でした。

それでも交際を続け千玄室さんは結婚を申し込むと、千登三子さんは「フランス語の勉強を続けさせてほしい」という条件付きで承諾、千玄室さんはこの時ほっとしたそうですよ。

千玄室の自宅は重要文化財!

千玄室さんの自宅は、京都府京都市上京区本法寺前町にあります。

茶室の「今日庵」は、1976年に重要文化財に指定されました。

茶室の一般公開はされておらず、訪問資格を持った方が応募して見学できるようになっているのだそうです。

千玄室の年収は?

千玄室さんの年収は公表されていません。

茶道の世界で長く活動している千玄室さんは、メディアに出演することもあります。

そのため年収は数千万円以上になるのではないかと噂されています。

まとめ

お見合いがきっかけで千登三子さんと結婚した千玄室さんは、突然の別れに大きなショックを受けましたが、悲しみを乗り越え今も活動を続けています。

空の上で見守ってくれている千登三子さんのためにも、これからも茶道の世界で輝き続けてほしいですね。

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