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古舘伊知郎の出身高校や大学は?事務所や年収・実家や父親と母親兄弟も

furutachiichiro_career アナウンサー

テレビ業界のレジェンドとも言われる古舘伊知郎さん。

その歯切れのよい語り口と圧倒的なトーク力で、プロレス実況から報道番組の司会まで幅広いジャンルで活躍してきました。

1977年にテレビ朝日にアナウンサーとして入社し、以降フリーへと転身。数々の番組をけん引してきたその姿は、今なお多くの人に影響を与え続けています。

そんな彼の華やかなキャリアの原点はどこにあるのでしょうか?

出身高校や大学はどんな学校で、どんな学生時代を過ごしていたのか?

また、彼を育てた実家や家族、両親や兄弟との関係性も気になるところです。

さらに、長年メディアの第一線で活躍してきた古舘さんの所属事務所や気になる年収事情にも迫ってみました。

この記事では、古舘伊知郎さんの知られざる素顔やバックグラウンドに焦点を当てて、より深く魅力を掘り下げていきます。

長年ファンだった方はもちろん、最近彼の存在を知ったという方にも楽しんでいただける内容となっています。

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古舘伊知郎の学歴

古舘伊知郎さんが通っていた学校について調べてみました。

古舘伊知郎の出身小学校

古舘伊知郎さんは、北区立滝野川第二小学校出身です。

小学生の頃は、ぽっちゃり体型だったそうですよ。

古舘伊知郎の出身中学

小学校卒業後は、千代田区立今川中学校(現:千代田区立神田一橋中学校)に進学しました。

中学時代はプロレスやラジオに夢中だったそうで、プロレスごっこで気絶し病院に運ばれたこともありました。

古舘伊知郎の出身高校

中学校卒業後は、立教高等学校(現:立教新座高等学校)に進学しました。

偏差値は、70です。

高校の同級生にはルー大柴さんが、1学年下には佐野元春さんがいました。

古舘伊知郎の出身大学

高校卒業後は、立教大学に進学しました。

古舘伊知郎さんは、経済学部に在籍、偏差値は65です。

大学ではアメリカンフットボール部に入部したものの、1年間で退部しています。

東京アナウンスアカデミーに通学していました。

古舘伊知郎のプロフィールや経歴

名前:古舘伊知郎
生年月日:1954年12月7日
出身地:東京都
血液型:AB型
身長:170cm
所属事務所:古舘プロジェクト

1977年に全国朝日放送(現・テレビ朝日)にアナウンサーとして入社した古舘伊知郎さんは、1984年6月にテレビ朝日を退社し、フリーアナウンサーに転身しました。

F1や競輪の実況などで人気を博し、各局でレギュラーを持っただけではなく、1988年には映画『スウィートホーム』、1991年にはNHK連続テレビ小説『君の名は』に出演、俳優業も行っています。

1994年~1996年にはNHK『NHK紅白歌合戦』の白組司会を担当、史上初の民放のアナウンサー出身の紅白司会者として話題を集めました。

2019年4月には立教大学客員教授に就任、2020年よりYoutubeを開始しました。

古舘伊知郎といえばプロレス実況

古舘伊知郎さんと言えば、局アナ時代プロレスの実況を担当していました。

1977年7月には新日本プロレスの実況中継番組『ワールドプロレスリング』担当に配属され、越谷市体育館での長州力VSエル・ゴリアス戦で実況デビューしています。

1980年からは『ワールドプロレスリング』で山本小鉄さんとコンビを組み、「掟破りの逆サソリ」「名勝負数え唄」「人間山脈」「風車の理論」「エリート・雑草逆転劇」などの独特な表現は「過激実況」と呼ばれ、アントニオ猪木全盛期、新日本プロレスの黄金期を支えました。

ワールドプロレスリングの実況は、1987年3月に勇退しています。

報道ステーションを降板した理由

2004年4月、古舘伊知郎さんは『ニュースステーション』の後継番組である『報道ステーション』の初代メインキャスターに就任しました。

そして、2016年3月31日をもって番組を卒業しています。

最後に古舘伊知郎さんは、「普通の言葉でざっくばらんなニュース番組を作りたいというものを目指していた」ものの、必ずしも相容れない番組の環境が「正直申しますと、窮屈になってきました」と告白しています。

また12年間、家のことよりも仕事のことを優先しすぎてしまったことから、奥さんから離婚届けを見せられ、家族のために番組を降りたともいわれています。

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古舘伊知郎の所属事務所

古舘伊知郎さんが現在所属している事務所は、「株式会社古舘プロジェクト」です。

この事務所は、テレビ朝日を退社した1984年に、自身の新たな活動拠点として設立されました。

設立当初は古舘さんを含むわずか7名のスタッフでスタートし、アナウンサーとしての経験と人脈を活かして、芸能活動の幅を広げるための基盤となっています。

古舘プロジェクトは、単なるマネジメント会社ではなく、企画・制作・ブランディングまでも自社で行う独自色の強い事務所として知られています。

特に、ナレーションや司会業など、「話す」ことを軸にした表現者を支えることに力を入れており、古舘さん自身のメディア出演の調整だけでなく、プロデュース業にも積極的に取り組んでいます。

また、古舘プロジェクトは古舘さんの個性を最大限に活かす方針を貫いており、テレビやラジオだけにとどまらず、舞台や配信コンテンツ、YouTubeなど新たなメディアにも進出。

実際に2020年以降は公式YouTubeチャンネル「フルタチさん」も開設し、テレビとは一味違う視点で語る独自のトークが話題を呼んでいます。

現在では、古舘さん以外にも個性派のタレントが所属しており、語りや言葉のプロフェッショナルを育てる役割も担っている点が特徴です。

大手芸能事務所とは一線を画した、“言葉で勝負する事務所”として、業界内外からも注目されています。

自らの名前を冠したこの事務所で、テレビという枠にとらわれず、自由な表現活動を続けている姿勢には、多くの支持が集まっています。

古舘さんが築き上げてきたキャリアはもちろんのこと、その背景にある事務所の存在にも注目が集まるのは当然のことと言えるでしょう。

古舘伊知郎の年収

古舘伊知郎さんの年収は正式には公表されていませんが、長年にわたりテレビ・ラジオ・舞台・YouTubeなど様々なメディアで活躍を続けていることから、その収入は非常に高水準であると考えられます。

特に注目されるのが、2004年から12年間にわたってメインキャスターを務めた『報道ステーション』(テレビ朝日系)時代のギャラです。

当時、報道番組のキャスターとしては異例の高額ギャラが報道されており、年収は5億円以上に達していたとも言われています。

これは一部の芸能ジャーナリストや業界関係者による推測ですが、長期間ゴールデンタイムの帯番組を担当していたことを考えると、決して誇張とは言えない数字です。

『報道ステーション』降板後は、一時期テレビでの露出がやや減少したものの、現在では再び多方面で活躍しています。

民放各局のバラエティやドキュメンタリー番組への出演に加え、自身の公式YouTubeチャンネル「フルタチさん」も開設。テレビとは異なる視点での語りが人気を集めており、広告収入も期待されています。

さらに、講演会やイベント出演、ナレーションや書籍の執筆活動もコンスタントに行っており、メディアに頼らない独立型の収益モデルを築いています。

これらの活動を総合的に見ると、現在の年収も数千万円〜1億円程度と見られることが多いです。

近年では、インターネットメディアやサブスクリプション型コンテンツでの出演機会も増加しており、マスメディアだけに依存しない活動スタイルが定着しています。

このように、ひとつの分野にとどまらず、複数の収益源を持っていることが安定した年収の背景にあります。

また、所属事務所「古舘プロジェクト」は古舘さん自身が立ち上げた会社であり、実質的な経営者でもあります。

そのため、出演料の他に会社の利益も加わり、タレントと経営者の両面から収入を得ている点も注目すべきポイントです。

これらを踏まえると、現在の古舘伊知郎さんの年収は、テレビ時代のピークよりは減少した可能性があるものの、依然として高い水準を維持していると考えられます。

古舘伊知郎の実家や生い立ち

1954年12月7日に誕生した古舘伊知郎さんは、東京都北区出身です。

幼い頃は喋り上手なお母さんとお姉さんの前で喋れず、無口な少年だったそうです。

小学生になっても人前で喋ることが苦手で、朗読の時間は寝たふりをするほどでした。

そんな古舘伊知郎さんは、いつになっても越えられない優秀なお姉さんへのコンプレックスから出会ったプロレスにハマり、200名以上のプロレスラーを丸暗記しました。

するとお母さんも外国の俳優・女優の名前を全部暗記していたそうで、どちらかが言えなくなるまで続ける映画俳優VSプロレスラーの記憶勝負が古舘伊知郎さんを喋りの世界に引き込んだきっかけになったそうです。

古舘伊知郎の父親

古舘伊知郎さんの父親は、古舘順太郎さんという名前です。

職業は会社経営者であり、生前は東証二部上場企業「ハマノ工業株式会社」の社長を務めていました。

ハマノ工業は主に金属加工や部品製造を行う企業で、自動車や建設機械など多分野にわたる製品を支える存在として知られています。

そんな企業を率いる立場にあった順太郎さんは、堅実かつ実直な経営手腕を持ち、企業の安定成長に貢献されていました。

家庭においてもその姿勢は一貫しており、「一切愚痴をこぼさない人物だった」と古舘伊知郎さん自身が語っています。

どれほど困難な状況にあっても、家庭内で弱音を吐くことはなく、常に冷静沈着な態度を崩さなかったそうです。

その姿勢は、アナウンサーとして激動のテレビ業界で第一線を走り続ける古舘さんの芯の強さや自己管理能力にも影響を与えているのかもしれません。

また、古舘さんが持つ言葉に対するこだわりや、芯の通った発信スタイルには、順太郎さんから受け継がれた職人気質や責任感のようなものが感じられます。

幼少期から父親の背中を見て育った環境が、現在の表現者としての姿勢や価値観に少なからず影響していると考えられます。

順太郎さんは1998年に他界されていますが、その存在は古舘伊知郎さんの内面に深く刻まれているようです。

亡くなった際にも多くを語ることなく、静かに人生を締めくくったと伝えられており、その生き様はまさに「言葉ではなく行動で語る」タイプの人物だったといえるでしょう。

現在も古舘さんの発言やインタビューの中では、時折父親について言及されることがあり、節々からその深い尊敬と感謝の念が感じられます。

メディアの世界で表現者として光を浴びる古舘さんの根底には、順太郎さんという強く誠実な父親の存在があることを感じさせられます。

古舘伊知郎の母親

古舘伊知郎さんの母親は、古舘安也子さんという名前です。

2012年5月28日、がんにより他界されました。

長い闘病生活を支えながらも、最期の瞬間まで強く生き抜いた方だったと伝えられています。

当時、古舘伊知郎さんは『報道ステーション』のキャスターとして非常に多忙な日々を送っており、連日生放送を抱える生活の中で、限られた時間を縫って看病に通っていたことが知られています。

母親の体調が悪化していく中でも、できる限り寄り添い続け、精神的にも肉体的にも支えとなっていたようです。

しかし、悲劇は思わぬタイミングで訪れました。

番組本番の数時間前に、母親が息を引き取ったという連絡が入ったのです。

しかもその知らせを受けたのは、まさに局内での生放送前の打ち合わせ中。

衝撃的な知らせにも関わらず、古舘さんは感情を表に出すことなく、プロとしての責任を全うし、いつも通りの口調でニュースを淡々と伝えたといいます。

視聴者の中には、この日が特別な日だったことにまったく気づかなかった方も多かったのではないでしょうか。

それほどまでに古舘さんは、画面の前で揺るぎない姿勢を貫いていました。

しかしその裏には、母親との深い絆と、大切な人を失った悲しみを抱えながらも職務に臨む強い覚悟があったことは間違いありません。

安也子さんについて詳しい情報は多くは語られていませんが、古舘さんの語り口の中には時折、家族に対する敬意や優しさがにじみ出ています。

口数の多いタイプではなかったとも言われており、物静かな中に芯の強さを持った人物であったことがうかがえます。

こうした母親の存在が、言葉の力で人の心を動かす古舘さんの人間性に、確かな土台として影響を与えてきたのかもしれません。

華やかな表舞台の陰で、家族に対して変わらぬ愛情を注ぎ続けてきた姿に、多くの人が感銘を受けています。

古舘伊知郎の兄弟や姉妹

古舘伊知郎さんには、姉が一人います。

名前は古舘恵美子さんで、6歳年上の姉として、幼い頃から何かと身近な存在だったそうです。

話術に長け、ユーモアを交えた会話が得意だった恵美子さんは、若い頃から周囲の人たちを笑顔にすることができる、まさに“天性の話し手”だったと言われています。

その明るく社交的な性格は、後にアナウンサーとして独自の話法を確立していく古舘伊知郎さんにとって、大きな影響を与える存在であり、憧れの対象でもありました。

古舘さんがテレビでの“しゃべり”に命をかけるようになった背景には、幼少期に聞いていた姉の会話や、話し方のセンスに対する強い印象があったとも語られています。

しかし、恵美子さんは37歳という若さでがんを患い、その後1991年に亡くなられました。

見つかった時にはすでに病状が進行していたとされ、手術も試みられたものの、残念ながら回復には至らなかったようです。

家族としても大変な時期であり、その別れは古舘さんにとっても非常につらい出来事となりました。

メディアでは多くを語られることは少ないものの、インタビューや節目のコメントの中に、兄弟姉妹としての絆や深い思い出がにじみ出ている瞬間が見受けられます。

早すぎる別れを経験したからこそ、日々の仕事に対する姿勢や、言葉に込めるエネルギーにも一層の強さが宿っているのかもしれません。

また、こうした家族の出来事を通じて、古舘さん自身が公私ともにより深みのある表現者として成長してきたことも想像されます。

今なお、姉への尊敬と感謝の思いは心の中に生き続けていると感じさせられるエピソードです。

まとめ

かつては無口で内向的だったという古舘伊知郎さん。

しかしその後、アナウンサーとしての才能を開花させ、プロレス実況で名を馳せ、さらに『報道ステーション』では報道の最前線に立つなど、まさに“言葉で魅せるプロフェッショナル”として多方面で活躍されてきました。

出身高校や大学での経験がその語りの土台を作り、家族、とりわけ尊敬してやまなかった父親や姉との思い出、そして献身的に支えてくれた母親の存在が、現在の人格や表現スタイルにも大きく影響を与えています。

自身が設立した事務所「古舘プロジェクト」を拠点に、テレビにとどまらず、舞台・講演・YouTubeと活動の場を広げており、その年収も今なお高水準を維持していると見られています。

古舘伊知郎さんの人生は、ただの芸能活動にとどまらず、人間としての深みや家族との絆、そして表現者としての覚悟に満ちた軌跡です。

今後もその唯一無二の語り口と、人間味あふれる姿に注目が集まり続けることでしょう。

これからも進化を続ける古舘伊知郎さんの動向から、目が離せません。

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