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音無美紀子の若い頃がかわいい!出身高校や大学・事務所や年収も調査

otonashimikiko_career 女優

1967年に女優デビューした音無美紀子さんは、どこの学校に通っていたのでしょうか。

若い頃はどんな姿だったのか、気になりますね。

今回は、音無美紀子さんの経歴や出身学校、若い頃の姿などについて調べてみました。

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音無美紀子の若い頃がかわいい!

音無美紀子さんの若い頃はこちらです。

若い頃も可愛く、綺麗ですね。

音無美紀子の学歴

音無美紀子さんが通っていた学校について調べてみました。

音無美紀子の出身小学校

音無美紀子さんは、大田区立松仙小学校出身です。

小学生の頃は学芸会や運動会で先頭に立つなど、目立ちたがり屋だったそうです。

音無美紀子の出身中学

小学校卒業後は、頌栄女子学院中学校に進学しました。

偏差値は、61です。

中学ではオリンピックを目指して体操部に入部したものの、宝塚歌劇団の舞台を観たことをきっかけに宝塚に憧れるようになりました。

音無美紀子の出身高校

中学校卒業後は、頌栄女子学院高等学校に進学しました。

偏差値は、70です。

中学卒業後は宝塚の受験を希望していた音無美紀子さんでしたが、両親や先生に反対され受験を断念しています。

音無美紀子の出身大学

高校卒業後は、進学していません。

劇団に入り芸能活動に専念しています。

音無美紀子のプロフィールや経歴

名前:音無美紀子
生年月日:1949年12月26日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:161cm
所属事務所:オフィスのいり

1966年に俳優の地井武男さんの勧めで「劇団若草」に入団した音無美紀子さんは、1967年のドラマ『これが青春だ』で女優デビュー、1971年の『お登勢』では主演を務めました。

他にも、映画『男はつらいよ 寅次郎紙風船』、『その男、凶暴につき』、大河ドラマ『おんな太閤記』、土曜ワイド劇場、月曜名作劇場作品などに出演しています。

2011年12月には東日本大震災支援活動「音無美紀子の歌声喫茶」を立ち上げ、被災地でチャリティ公演などを行っています。

2019年、第74回文化庁芸術祭賞演劇部門優秀賞を受賞しました。

音無美紀子の本名

音無美紀子さんは、本名で活動していました。

1975年に俳優の村井國夫さんと結婚し、「村井」姓になっています。

音無美紀子は乳がんを患っていた

1988年、音無美紀子さんは乳がんを発症し、左乳房全摘とリンパ節切除の手術を受けました。

きっかけは入浴中に自分の胸を触った時に小さなしこりを発見したことで、産婦人科に受診した際も「おそらくがんではないでしょう」との診断から安心しきっていたそうです。

そのため産婦人科の先生が念のためにと大学病院の招待状を書いてくれても、「そのうち仕事が一段落したら」と軽く考え、行くことはありませんでした。

ところが数か月後、旦那さんとゴルフをした翌日に左腕を上げると胸に強い痛みが走るのを感じ大学病院に駆け込むと、様々な検査から乳がんであることが判明しました。

1988年9月に10時間に及ぶ手術を受けた音無美紀子さんは、その後病気を隠し続けていたことなどが引き金になり抑鬱状態にもなったそうです。

「生きてても地獄のようだった」という音無美紀子さんは、旦那さんに「死にたい」と告げたこともありました。

この時旦那さんは「死んでもいいよ」、「でももう1年だけ生きてほしい。子供たちがまだ小さい。1年間くれたら君から家事を覚える」と返しました。

旦那さんのこの言葉に音無美紀子さんは「生きなきゃ」と感じ、家族の支えを力に、病気を克服しました。

音無美紀子の所属事務所

音無美紀子さんは、「オフィスのいり」に所属しています。

こちらの事務所には、大空眞弓さん、沢田亜矢子さん、荒井洸子さん、そして自身の娘である村井麻友美さんらが在籍しています。

音無美紀子の年収

音無美紀子さんの年収は公表されていません。

出産や病気で休養していた時期もありますが、今も女優活動を続けています。

メディアに出ることもあるため、年収は数千万以上になるのではないかと思われます。

まとめ

憧れの宝塚に入ることは出来なかった音無美紀子さんですが、病気を乗り越え今も女優活動を続けています。

これからも健康を第一に、音無美紀子さんらしく活躍し続けてほしいですね。

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