起業家で作家の杉本宏之さんは、「不動産業界で最年少の上場経営者」として話題を集めましたが、生まれた時から成功の道を歩んでいたわけではありません。
杉本宏之さんはどんな環境で育ってきたのでしょうか。
今回は、杉本宏之さんの実家や家族、生い立ちについて紹介します。
杉本宏之の生い立ちが壮絶
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— 杉本宏之 (@sugimotosyla) July 5, 2019
1977年6月25日に誕生した杉本宏之さんは、裕福な環境で育ちました。
しかしバブル崩壊で不動産業界で事業を行っていたお父さんの会社が倒産してしまったことをきっかけに一家はどん底まで落ち、生活保護を受けるまでになりました。
小学校時代は給食費の支払いに困るほどの貧乏生活を送り、8歳の時には杉本宏之さんが交通事故に遭い、半年ほど入院していたこともあったそうです。
リハビリの結果、足は動くようになったものの左足の指の神経は戻らず、今も動かないと明かしています。
高校時代も生活は変わらず、お父さんとは喧嘩ばかりでした。
ある時にはお父さんが刃物を持って「お前を殺して俺も死ぬ」と言い、杉本宏之さんを刺したこともあり、このことをきっかけに杉本宏之さんは家を出ました。
杉本宏之の実家
#GOETHE さんに取材頂きました。
— 杉本宏之 (@sugimotosyla) February 25, 2021
今取り組んでいる新しい事業や、経営に対する考え方などお話ししてます。
今人生の中で一番働いてますが、充実しています。今日が人生最後の日になっても後悔しないよう、毎日を必死に生きようと思うようになりました。 pic.twitter.com/WyxzRjD6Wb
杉本宏之さんは、茨城県守谷市で生まれました。
その後生活環境が変わり埼玉県大宮市や川口市などを転々とし、お風呂がない四畳半のアパートでの生活を余儀なくされていました。
最終的には神奈川県川崎市に落ち着いたそうですが、現在は両親が共に亡くなっているということから杉本宏之さんの実家と呼べる家はありません。
杉本宏之の父親
杉本宏之さんのお父さんは一般人です。
経営していた不動産会社が倒産してからは不動産ブローカーとして働いていました。
ただ不動産ブローカーの収入はあまり良いものではなく、お母さんや杉本宏之さんが働いたお金が頼りだったようです。
杉本宏之さんが家を出てからお父さんも蒸発し、杉本宏之さんが独立して最年少上場を果たした2か月後に亡くなりました。
探偵を使って杉本宏之さんはお父さんを探し出したものの、この時はお父さんに対して良い感情は持っていなかったそうです。
しかし叔父さんが「父が墓場まで持っていってほしいと言っていた」というお父さん自身のエピソードを明かし、杉本宏之さんはお父さんが17歳で海軍に入隊し、戦後の日本をお父さんが必死で生きて人々を守り抜いたことを知りました。
このことから杉本宏之さんはお父さんに対する思いが変わったようで、インタビューでは「父の想いや行動がようやく理解出来る歳になり、感謝の気持ちしかありません」と語っていました。
杉本宏之の母親
杉本宏之さんのお母さんも一般人です。
お父さんの仕事が上手くいかなくなってからはパートで働いて家計を支えていました。
そんなお母さんは、杉本宏之さんが13歳の時に胃がんのため亡くなっています。
杉本宏之の兄弟や姉妹
シーラテクノロジーズ(杉本宏之・代表取締役会長グループ執行役員CEO)が米国株式市場のナスダックへ新規上場しました。不動産クラウドファンディングのプラットフォーム「利回りくん」が同社の現在の中核事業で、21年6月の事業開始からの累計調達額は約24億円。3年後に累計調達額100億円が目標です。 pic.twitter.com/LQcp6xyRI0
— 日刊不動産経済通信/不動産経済研究所 (@fdk_tsushin) April 21, 2023
杉本宏之さんの兄弟は公表されていません。
インタビューでは、お父さんと離れた後のことを「親しい身内は誰もいなくなってしまったので、1人で生きていかなければいけないという自覚を持つようになりました」と話していました。
そのため杉本宏之さんは一人っ子ではないかと思われます。
まとめ
起業家として「成功者」と言われることが多い杉本宏之さんですが、この成功を得るまでにはたくさんの辛いことを経験してきました。
これからも杉本宏之さんの活躍を応援していきたいと思います。