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宮本亞門の出身高校や大学は?若い頃・事務所や年収・自宅は沖縄?東京?

宮本亞門の出身高校や大学は?若い頃・事務所や年収・自宅は沖縄?東京? 裏方

ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎等、ジャンルを越える演出家として世界で注目を集めている宮本亞門さんは、どこの学校に通っていたのでしょうか。

有名演出家になるまで、どんな道を歩んでいたのでしょうか。

今回は、宮本亞門さんの経歴や出身学校、自宅などについて調べてみました。

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宮本亞門の学歴

宮本亞門さんが通っていた学校について調べてみました。

宮本亞門の出身小学校

宮本亞門さんは、港区立白金小学校出身です。

銀座生まれの宮本亞門さんは、小学生の頃デパートの屋上が唯一の遊び場だったそうです。

また実家が新橋演舞場の向かいの喫茶店だったことから演劇が身近にあったものの、当時は太っていることがコンプレックスでした。

ある時にはバスの車内が混雑していた時に「この人が太っているから通れない」と言われ、恥ずかしさとショックで「迷惑をかけている存在なんだ」と思ったと明かしています。

宮本亞門の出身中学

小学校卒業後は、大田区立田園調布中学校に進学しました。

中学時代は仏像の美しさに目覚めて建築や美術へ関心を広げ、週末ごとに夜行列車に乗ってひとりで奈良や京都の寺を回ったこともあったそうです。

しかしこうした宮本亞門さんの行動がますます同世代からは浮いた存在となり、「自己否定の連続。コンプレックスだらけの日々」を送っていました。

宮本亞門の出身高校

中学校卒業後は、玉川学園高等部に進学しました。

偏差値は、58です。

高校時代は「自分なんて生きている価値があるのか?」と思い詰めてしまい、1年間引きこもり生活を送っていました。

しかし大学病院の精神科を受診したことで気持ちが変わり、学校にも再び通うようになりました。

ミュージカル『ゴッドスペル』を映画で観て感動した宮本亞門さんは演劇部に上演を依頼、そこで主役をやることになり演劇デビューを果たしています。

さらに評判の良かったこの作品は「キネマ旬報」の記事にもなりました。

宮本亞門の出身大学

高校卒業後は、玉川大学に進学しました。

宮本亞門さんは文学部芸術学科演劇専攻科に在籍、偏差値は38です。

4年生の時に両親に内緒で受けたミュージカル『ピピン』のダンサーのオーディションに受かり、先生に相談したところ「退学をして社会に出た方が良い」とアドバイスを受け、大学を中退しています。

宮本亞門の若い頃

宮本亞門さんの若い頃の姿はこちらです。

演出家になる前は、ダンサー、振付師として活動していました。

今と少し雰囲気が異なりますが、カッコイイですね。

宮本亞門と劇団四季との関係は?

宮本亞門さんは、若い頃に俳優として劇団四季のミュージカル『コーラスライン』のオーディションに合格しました。

必死に稽古していたある日、劇団四季の創立者である浅利慶太さんに「四季に入るか」と言われたそうです。

しかし宮本亞門さんは「僕は本当に申し訳ないけど、四季に入るためじゃなくて『コーラスライン』をやるために来たんです」と答え、浅利慶太さんが聞き直したものの、宮本亞門さんが再び同じことを言おうとしたため浅利慶太さんは激怒し結局追い出されてしまったのでした。

もしもこの時宮本亞門さんが劇団四季に入っていれば、今とは違う道を歩んでいたかもしれませんね。

宮本亞門の本名や名前の由来

宮本亞門さんの出生名は「宮本亮次」さんです。

演出家になる前までは出生名で活動していましたが、2年間のロンドン留学を経て演出家を目指すため「亜門」に改名しました。

そして2019年9月8日、「宮本亜門」から「宮本亞門」に改名しました。

2019年2月に前立腺がんがあることが判明したことから「姓名判断の方とも相談して、これからの人生を最大限謳歌するため、亜の旧字体を使い『亞門』とすることにしました」と明かしています。

宮本亞門さん曰く、「僕はリセットが大好きな人間で、毎回リセットをさせてもらって、次の一歩を行ける」とのことで、「亜門(亞門)」という字画が強いと感じたのだそうです。

現在は、戸籍上でも「宮本亜門」が本名となっています。

宮本亞門のプロフィールや経歴

名前:宮本亞門
生年月日:1958年1月4日
出身地:東京都
血液型:O型
身長:177cm
所属事務所:ホリプロ スポーツ文化部

1978年にミュージカル『シーソー』でダンサーとしてデビューした宮本亞門さんは、1980年にはミュージカル『ヘアー』に出演、そして1984年に『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』で振付師デビューしました。

24歳のときには池尻大橋にダンススタジオをオープンさせ、1年間の経営後に2年のロンドン留学を経験、ロンドンにいる2年間で見た舞台の数は700以上もあるそうです。

その後1987年にオリジナルミュージカル『アイ・ガット・マーマン』で演出家としてデビュー、1988年には同作品で文化庁芸術祭賞を受賞しました。

1993年にネスカフェのゴールドブレンド「違いのわかる男」として一般的に認知されるようになると、1998年の初監督作品映画『BEAT』でヴェネツィア国際映画祭に正式招待され、ミュージカル『INTO THE WOODS』の演出で朝日舞台芸術賞の秋元松代賞を受賞しました。

2004年にアメリカ人キャストでニューヨークのオン・ブロードウェイで東洋人初の演出家としてデビュー、2005年にはトニー賞において4部門にノミネートされています。

2013年、市川海老蔵さんの自主公演『ABKAI』で初の歌舞伎演出を手掛けました。

2023年にはNHK連続テレビ小説『ブギウギ』で人生初のドラマ出演を果たしました。

宮本亞門の所属事務所

宮本亞門さんは、「ホリプロ スポーツ文化部」に所属しています。

こちらには、作家・演出家の鴻上尚史さん、作家の岩井志麻子さん、映画コメンテーターの有村昆さん、フリーアナウンサーの松尾翠さんらも在籍しています。

宮本亞門の年収

宮本亞門さんの年収は公表されていません。

演出家の年収は固定ではなく、個人によって異なります。

宮本亞門さんは世界でも活躍している方なので、年収は億越えになるのではないかと思われます。

宮本亞門の自宅は沖縄?東京?

宮本亞門さんの自宅の場所は公開されていません。

現在は東京にあるようですが、2020年頃まで沖縄県に住んでいました。

海の横に家を建てたものの、居心地が良すぎてしまい目標を挫折しそうになってしまう可能性があったこと、横にホテルが出来て人が増えてしまったことから売却しました。

しかし沖縄への思いは捨てきれず、今は土地だけ買っている状態で、今後また沖縄に家を建てる可能性があるそうです。

まとめ

学生時代は思い悩むことが多かった宮本亞門さんですが、ダンサーや振付師を経て演出家になりました。

これからもジャンルを問わず活動していく宮本亞門さんを、応援していきたいと思います。

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