多くのヒット曲を持つ歌手で女優としても活動している小柳ルミ子さんは、宝塚歌劇団の団員だった過去も持っています。
宝塚時代はどんな活動をしていたのでしょうか。
今回は、小柳ルミ子さんの宝塚時代や出身学校などについて調べてみました。
小柳ルミ子の若い頃がかわいい!
小柳ルミ子さんの若い頃の姿はこちらです。
若いときの小柳ルミ子めっちゃ可愛い pic.twitter.com/dFjUmNckoX
— 藻屑 (@tfNvgNdrIOYdNCy) December 30, 2020
フード付きのコート(ダッフルコート?)って1970年代の人が着てると違和感があるなぁ…。
— ロジャー七福(高宮) (@V6fNXfC87AtWPPw) November 3, 2023
歴史ある服とはいえ最近のイメージがあるんだよねぇフードって。
それにしても小柳ルミ子かわいいな。 pic.twitter.com/kCsHf50egn
小柳ルミ子の若い頃愛嬌ある感じで可愛い pic.twitter.com/IYmDUOPfhF
— beat (@betnapo) January 14, 2022
とても可愛らしいですね。
小柳ルミ子は宝塚出身!宝塚時代の芸名は?
「本当に美少女」「さすが首席!」 小柳ルミ子、約50年前の“宝塚音楽学校”時代がスターの輝き(ねとらぼ) https://t.co/TuMgNKh9aO pic.twitter.com/tbNdtCKApu
— ダウンチャウン (@cyu_gokuama) March 4, 2019
小柳ルミ子さんは、宝塚歌劇団56期生です。
歌って踊れるエンターテイナーになりたかった小柳ルミ子さんは、友人が宝塚音楽学校の先輩にあたる梓みちよさんの知り合いで、その口利きで渡辺プロダクションに歌手になりたいとお願いしたところ「宝塚を首席で卒業したら歌手にしてあげる」と言われたそうです。
そこで小柳ルミ子さんは宝塚音楽学校を受験、1970年に首席で卒業しました。
ここで小柳ルミ子さんと渡辺プロダクションの約束は果たしたものの「初舞台だけは踏みなさい」と言われ、小柳ルミ子さんは『夏川るみ』の名で宝塚歌劇団に入団しました。
宝塚の同期には元専科の萬あきらさん、女優の麻実れいさん、東千晃さんらがいました。
小柳ルミ子が宝塚が退団した理由
小柳ルミ子さんは、宝塚歌劇団を2ヶ月で退団しています。
その理由は、「踊りや演技ではなく、歌一本でやりたい」という気持ちが変わらなかったからのようです。
また宝塚時代には「衣装に袖を通す。ファスナーに指をやるとチクリと痛みが。釘が一本刺さっていて、指に食い込んでいるんです」といじめがあったことも過去に告白していました。
元々小柳ルミ子さんは「宝塚に入って舞台に立つこと」が目標だったわけでは無いので、すぐに対談を決意したのだと思います。
小柳ルミ子の学歴
小柳ルミ子さんが通っていた学校について調べてみました。
小柳ルミ子の出身小学校
小柳ルミ子さんは、福岡市立西新小学校出身です。
小学生の頃は、成績優秀だったそうです。
卒業式では担任の先生との別れが悲しかったと明かしていました。
小柳ルミ子の出身中学
小学校卒業後は、筑紫女学園中学校に進学しました。
偏差値は、56です。
中学時代も成績は優秀でした。
小柳ルミ子の出身高校
中学校卒業後は、宝塚音楽学校に進学しました。
元々宝塚を目指していたわけではなかったものの、入学時の成績は5番と優秀でした。
卒業時も「主席で卒業」というプロダクションとの約束をしっかり果たしています。
小柳ルミ子の出身大学
宝塚音楽学校を卒業した小柳ルミ子さんは、宝塚歌劇団に入団しました。
そのため大学には進学していません。
宝塚歌劇団は高校卒業の認定がないため、小柳ルミ子さんの最終学歴は「中卒」です。
小柳ルミ子の代表曲
小柳ルミ子さんの代表曲は、「瀬戸の花嫁」です。
この楽曲は1972年4月にリリースされた小柳ルミ子さんの4枚目のシングルで、週間オリコンチャート首位を獲得、第3回日本歌謡大賞の大賞や第14回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞しました。
JR四国の主に予讃線管内の駅、及びJR西日本の宇野駅・児島駅および岡山駅の瀬戸大橋線ホームにおいて駅の列車発着時のメロディーにも使用されています。
まとめ
宝塚は歌手になるための通過点だったという小柳ルミ子さんは、退団後に見事実力派歌手になりました。
これからも芸能界で小柳ルミ子さんらしく、活動を続けていってほしいですね。