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小柳ルミ子の骨折がヤバい?メッシ愛や年齢・事務所や年収自宅も調査

koyanagirumiko_career 歌手
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デビュー曲「わたしの城下町」がいきなり大ヒットした歌手で女優の小柳ルミ子さんは、サッカー好きとしても知られています。

過去には骨折や手術を経験したことも公表していました。

今回は、そんな小柳ルミ子さんの経歴や病気、サッカーなどについて調べてみました。

小柳ルミ子の骨折がやばい?

2023年12月21日、小柳ルミ子さんは会食後に駐車場でつまずき顔面から転倒し、右手小指を骨折しました。

お酒が飲めない小柳ルミ子さんはこの日ももちろんお酒は飲んでいなかったものの、真っ暗な駐車場の車止めが見えず、つまずき顔面から転倒してしまったのだそうです。

少しふらふらしながらもその日は帰宅、しかし翌日になっても痛みが止まらず右手の親指と小指がくっつかなかったため救急外来でレントゲンを撮ってもらうと、右手小指の第三関節の下の骨折が発覚しました。

顔の骨折はなかったものの、指の完治までには半年~1年ほどかかるとのことで、リハビリを行っている様子を度々Instagramで公開しています。

小柳ルミ子は過去に怪我や病気は?

小柳ルミ子さんは、2013年にも右肋骨の疲労骨折を経験しました。

また2022年にはインプラントによる歯科口腔外科の手術を行ったことを明かしており、歯の手術はこれまでに3回行っているそうです。

ネット上では「癌」の検索ワードも浮上しますが、現時点で小柳ルミ子さんが癌を公表したことはありません。

小柳ルミ子のメッシやサッカー愛がすごすぎる

小柳ルミ子さんはサッカー好きで知られています。

年間2000試合以上を観戦するだけではなく解説者としてサッカー番組に出演することもあり、独自の視点からサッカーを語る『パスコースがない? じゃあ、つくればいい。~ルミ子の勝手にサッカー学』という本も出版しました。

元々スポーツ全般好きだという小柳ルミ子さんがサッカーにハマったきっかけはデビッド・ベッカムさんの存在で、ベッカムさんに惹かれてサッカーを見る中でデビューしたのが、リオネル・メッシさんでした。

メッシさんの生い立ちやチームに引き抜かれた経緯などを調べているうちに虜になったそうで、メッシさんの魅力について小柳ルミ子さんは「人間性が良い」と語っていました。

小柳ルミ子のプロフィールや経歴

名前:小柳ルミ子
生年月日:1952年7月2日
出身地:福岡県
血液型:A型
身長:159cm
所属事務所:プラチナムプロダクション

1970年に宝塚歌劇団へ入団し2か月後に退団した小柳ルミ子さんは、同年NHK連続テレビ小説『虹』で女優としてデビュー、1971年「わたしの城下町」で歌手デビューしました。

デビュー曲はいきなり160万枚を売り上げ、1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録、第13回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞しています。

その後も1972年には「瀬戸の花嫁」で第3回日本歌謡大賞を受賞、「お祭りの夜」、「京のにわか雨」、「漁火恋唄」、「花のようにひそやかに」、「冬の駅」、「お久しぶりね」などがヒットしました。

1971年から1988年まで18年連続で『NHK紅白歌合戦』にも出場しています。

女優としては、1982年に『誘拐報道』でキネマ旬報賞助演女優賞と第6回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、1983年に『白蛇抄』で第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しました。

小柳ルミ子の所属事務所

小柳ルミ子さんの現在の事務所は、「プラチナムプロダクション」です。

デビュー時は「渡辺プロダクション」に所属、独立後は個人事務所を立ち上げました。

個人事務所が解散した後、現在の事務所に移籍しています。

小柳ルミ子の年収

小柳ルミ子さんの年収は公表されていません。

現在も芸能活動は続けており、サッカー関連の仕事も多くこなしています。

そのため年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

小柳ルミ子の自宅

小柳ルミ子さんの自宅の場所は公開されていません。

芸能活動の拠点が東京のため、都内のどこかのようです。

SNSなどでも自宅内を絶対に公開しないそうで、その理由については「以前、家に強盗に入られ、貴金属を全て盗まれた経験があるから」と明かしていました。

まとめ

小柳ルミ子さんは、女優&歌手デビューから現在もテレビや舞台などで活躍しています。

大きな病気の心配は今のところないようですが、これからも健康には気を付けて活動を続けていってほしいですね。

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