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本並健治は現役時代腎臓破裂してる!現在は監督?年収や事務所なども

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現役時代は「浪速のイタリアーノ」と呼ばれていた本並健治さんは、日本代表にも選ばれたことのある実力者でした。

何故引退してしまったのでしょうか。

今回は、本並健治さんの経歴や現役時代の活躍、引退理由などについて調べてみました。

本並健治はサッカー元日本代表キーパーだった

本並健治さんは、1994年に日本代表に選出されました。

デビュー戦であるキリンカップのフランス戦では後半から出場したものの、トンネルを含む2失点を喫し、その後出場した2試合でどちらも失点してしまい、以後代表から声は掛からなくなってしまいました。

本並健治は現役時代腎臓破裂している

1993年7月、本並健治さんは試合中に腎臓破裂の大怪我を負いました。

試合後半でコーナーキックをキャッチした時、後ろから膝が入り、肋骨が腎臓をかくような感じで肋骨も折れてしまったのだそうです。

しかしこの時メンバー交代枠を全部使っていたこともあり、本並健治さんは試合が終わるまで出場していました。

試合終了後に病院で診断を受けた際には「もし延長戦になっていたら命は助からなかっただろう」と言われたほどで、すぐに行われた手術では腎臓を4分の1も摘出しています。

それでも本並健治さんは驚異的な回復力を見せ、7ヶ月後にはサントリーシリーズで復帰しています。

本並健治が現役引退した理由

2001年、本並健治さんは現役を引退しました。

引退理由は明かされていないものの、引退後に出演したラジオの中では「オファーがあったが、やり切ったと感じた」と語っていました。

当時37歳だったということもあり、体力的にも限界を感じていたのかもしれません。

本並健治は引退後コーチや監督に現在は?

現役引退後の2003年、本並健治さんは京都産業大学や東海大学付属仰星高等学校のサッカー部でコーチを務めていました。

その後2005年にJFA公認S級指導者ライセンスを取得、2012年8月からなでしこリーグ・スペランツァFC大阪高槻の監督に就任、2016年に契約満了のため退任しています。

2017年~2022年までは千葉県立白井高等学校のサッカー部でコーチを務め、現在は指導をやっていないようです。

本並健治のプロフィールや経歴

名前:本並健治
生年月日:1964年6月23日
出身地:大阪府
血液型:B型
身長:186cm
所属事務所:ホリプロ

1986年、ガンバ大阪の前身である松下電器産業サッカー部に入団した本並健治さんは、Jリーグが発足されると鋭い反応と攻撃的なゴールキーパーとしてガンバ大阪の人気選手として活躍しました。

1995年に日刊スポーツ紙上の「ミスター GAMBA 銀の脚」賞、1996年には「ミスター GAMBA 黄金の脚」賞を受賞しています。

1997年シーズン途中にヴェルディ川崎へレンタル移籍し1998年に完全移籍、Jリーグ創世記からの武器である鋭い反応で第2期全盛期と言える活躍を見せたものの、2001年に引退しました。

2020年に元なでしこジャパンの丸山桂里奈さんと結婚し、バラエティー番組などで夫婦で出演しています。

本並健治の所属事務所

本並健治さんの現在の事務所は、「ホリプロ」です。

過去には「吉本興業」に在籍していました。

本並健治の年収

本並健治さんの現在の年収は公表されていません。

丸山桂里奈さんとの結婚後はタレント業も増えてきており、年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

まとめ

日本代表としてはいい結果を残せなかった本並健治さんですが、クラブチームの選手としては素晴らしい活躍を見せていました。

現在指導者としての活動は行っていませんが、これからも本並健治さんらしく活動を続けていってほしいですね。

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