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林家木久扇の病気は治った?師匠や弟子は?本名や改名・事務所や年収も

hayashiyakikuou_career 落語
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50年以上『笑点』の大喜利メンバーを務めた落語家・林家木久扇さんは、どんな人なのでしょうか。

師匠は誰なのか、病気は治っているのか、気になりますね。

今回は、林家木久扇さんの経歴や師匠、弟子、病気などについて調べてみました。

林家木久扇の病気(がん)は治った?

2014年、林家木久扇さんは初期の喉頭がんにより休養しました。

7月にがんが見つかったものの初期であったため8月には放射線治療で消えたそうです。

そして9月に散ってるがんを消すための放射線治療を経て、完治しました。

声が出ない時が一番つらかったそうですが、「負けまい」という強い気持ちで戦いました。

また林家木久扇さんは2000年にも初期の胃がんが発覚しましたが、この時は『笑点』を休まずに治療し、完治しています。

林家木久扇の師匠

林家木久扇さんの最初の師匠は、三代目桂三木助さんでした。

弟子入りしていた漫画家清水崑の紹介で三代目桂三木助さんの弟子になったものの、入門して数か月で三代目桂三木助さんは亡くなってしまいました。

その後八代目林家正蔵一門へ移籍し、林家彦六さんの弟子になっています。

林家木久扇の弟子

林家木久扇さんの弟子は、林家時蔵さん、林家きく姫さん、林家彦いちさん、林家久蔵さん、二代林家木久蔵さん、林家きく麿さん、林家ひろ木さん、林家希林さん、林家けい木さんです。

弟子には直弟子には平仮名混じりの高座名をつけることが多いようです。

林家木久扇の本名や改名

林家木久扇さんの本名は、「豊田洋」さんです。

最初の師匠である三代目桂三木助さんから「林家木久男」と命名され、その後「林家木久蔵」に改名しました。

2007年には「林家木久蔵」を息子に譲り、自身は現在の「林家木久扇」に改名しています。

林家木久扇のプロフィールや経歴

名前:林家木久扇
生年月日:1937年10月19日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:162cm

高校卒業後に森永乳業に入社した林家木久扇さんは、その後漫画家を目指すために漫画家の清水崑さんに弟子入り、1958年に漫画が『漫画サンデー』に掲載され、プロの漫画家になりました。

その後清水崑さんの勧めで落語家に転身すると、1961年に初高座、1965年に二ツ目昇進を果たしました。

1969年には『笑点』のレギュラーに加入、1973年に真打昇進、そして1975年にはシングル「酔姫エレジー」をリリースし歌手デビューしています。

1978年にシングル「いやんばか〜ん」、1979年にシングル「とびだすな!!」をリリースしました。

1981年には日本で初めてラーメンについての単行本を出版、1982年に全国ラーメン党を結成し会長に就任すると、「木久蔵ラーメン」のチェーン展開を始めました。

1992年に社団法人日本漫画家協会正会員と社団法人落語協会理事に就任しています。

林家木久扇の所属事務所

林家木久扇さんは、落語協会に所属しています。

マネジメントの方は「トヨタアート」で、こちらは1982年に林家木久扇さんが設立しました。

現在は林家木久扇さん、息子の二代目林家木久蔵さん、そして林家きく姫さんが在籍しています。

林家木久扇の年収

林家木久扇さんの年収は公表されていません。

落語家としてテレビ以外での活躍も人気の方なので、年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

まとめ

元々落語家を目指していたわけではなかった林家木久扇さんですが、『笑点』のレギュラーになり、親しみやすいキャラクターが多くの視聴者の心を掴みました。

現在は健康に問題がないようですが、これからも体に気を付けて、活動を続けていってほしいと思います。

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