50年以上『笑点』の大喜利メンバーを務めた落語家の林家木久扇さんですが、師匠はどんな人なのでしょうか。
過去に公表していた病気は治っているのか、気になりますね。
今回は、林家木久扇さんの経歴、師匠や弟子、病気などについて調べてみました。
林家木久扇の師匠
「落語」昭和の名人極めつき72席(13)三代目桂三木助 2019年 7/16 号 [雑誌] https://t.co/xWVX9Bzsno pic.twitter.com/7NvEJwGZle
— 金猫あっき (@kinnekopeacek) July 2, 2019
林家木久扇さんの最初の師匠は、三代目桂三木助さんでした。
弟子入りしていた漫画家・清水崑さんの紹介で三代目桂三木助さんの弟子になったものの、入門して数か月で三代目桂三木助さんは亡くなってしまいました。
おはようございます✨
— 吉村龍泉 (@IfMj14I37clBle8) January 16, 2022
『 新しいことを勉強してると世の中は怖くありません。何もしないで、じっとしているから、怖くなるんです。』
(落語家の林家彦六さんの言葉) pic.twitter.com/hIEgOl94ny
その後八代目林家正蔵一門へ移籍し、林家彦六さんの弟子になっています。
林家木久扇の弟子
林家木久扇さんの弟子は、林家時蔵さん、林家きく姫さん、林家彦いちさん、林家久蔵さん、二代目林家木久蔵さん、林家きく麿さん、林家ひろ木さん、林家希林さん、林家けい木さんです。
二代目林家木久蔵さんは林家木久扇さんの実の息子です。
林家木久扇の病気(がん)は治った?
10月末にインタビューした林家木久扇師匠の記事が岐阜県・可児市文化創造センターの『ala Times』最新 2018年1月号に掲載されました。がんを克服し80歳を迎えて絶好調な師匠の健康の秘訣やベガスで観たエルトン・ジョンのショーの話とか興味深い話が盛り沢山よ。WEBでも読めるhttps://t.co/5hoaWRbQL4 pic.twitter.com/09jSaUyHZt
— 東端哲也 (@batajan) December 3, 2017
2014年、林家木久扇さんは初期の喉頭がんにより休養しました。
7月にがんが見つかったものの初期であったため8月には放射線治療で消えたそうです。
そして9月に散ってるがんを消すための放射線治療を経て、完治しました。
声が出ない時が一番つらかったそうですが、「負けまい」という強い気持ちで戦いました。
また林家木久扇さんは2000年にも初期の胃がんが発覚しましたが、この時は『笑点』を休まずに治療し、完治しています。
林家木久扇といえば木久蔵ラーメン
木久蔵(木久扇)ラーメン
— 遊ずどカンパニー (@Yu_zd_company) May 19, 2024
子供と出かけない日曜日は事務所でテレビ観ながら事務作業か熱帯魚の水替えしながら笑点を観るというのが流れなんですが子供の頃番組内でマズいとかネタにされてたけどいつか食べてみたいと思ってて…今年勇退という事で記念に購入🙌まだ食べてないですけどね😮という日曜日👏 pic.twitter.com/gb951iVb3l
林家木久扇さんと言えば、木久蔵時代に誕生した「木久蔵ラーメン」が人気です。
長年出演していた『笑点』では「まずい」、「食べたら腹を壊した」などネタにされることが多く、自身も「返品が多い」、「みんなが悪く言うおかげで売れなくなった」という自虐で笑わせていました。
木久蔵ラーメンは元々1982年に横山やすしさんと共に「全国ラーメン党」を結成したことを機に販売を開始した商品で、全国ラーメン党の店舗は最盛期には日本だけではなくスペイン・バルセロナにまで支店がありました。
現在は岩手県岩手郡雫石町にある「ホテル森の風」内にあるレストラン「めん処 森のそばや」のみでしか提供されていませんが、自分で作るスタイルの木久蔵ラーメンはオンラインショップで購入することが出来ます。
味は決してまずいわけでは無く、「木久蔵ラーメン=まずい」と言われるようになったのは林家木久扇さんが中華料理人とのラーメン作りで対決したことがきっかけで、『林家木久扇本人が作ったラーメン』がまずいというのが本当の意味なんだそうです。
2024年3月には林家木久扇さんの『笑点』卒業のため、養老乃瀧グループのサポートのもと記念として「ありがとう!林家木久扇ラーメン」を限定販売、パッケージには林家木久扇さんの顔写真が初めて使用されました。
また木久扇一門には「木久蔵ラーメンを1日でどれだけ販売するか」という入門試験があるそうですよ。
林家木久扇の本名や改名
林家木久扇さんの本名は、「豊田洋」さんです。
最初の師匠である三代目桂三木助さんから「林家木久男」と命名され、その後「林家木久蔵」に改名しました。
2007年には「林家木久蔵」を息子に譲り、自身は現在の「林家木久扇」に改名しています。
林家木久扇のプロフィールや経歴
林家木久扇、55年目に『笑点』卒業を決めた理由は妻の一言。2年前には落語家人生の危機も #テレ朝POSThttps://t.co/n7jToynjaB
— テレ朝POST (@post_tvasahi) December 20, 2023
名前:林家木久扇
生年月日:1937年10月19日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:162cm
高校卒業後に森永乳業に入社した林家木久扇さんは、その後漫画家を目指すために漫画家の清水崑さんに弟子入り、1958年に漫画が『漫画サンデー』に掲載され、プロの漫画家になりました。
その後清水崑さんの勧めで落語家に転身すると、1961年に初高座、1965年に二ツ目昇進を果たしました。
1969年には『笑点』のレギュラーに加入、1973年に真打昇進、そして1975年にはシングル「酔姫エレジー」をリリースし歌手デビューしています。
1978年にシングル「いやんばか〜ん」、1979年にシングル「とびだすな!!」をリリースしました。
1981年には日本で初めてラーメンについての単行本を出版、1982年に全国ラーメン党を結成し会長に就任すると、「木久蔵ラーメン」のチェーン展開を始めました。
1992年に社団法人日本漫画家協会正会員と社団法人落語協会理事に就任しています。
林家木久扇の所属事務所
林家木久扇さんは、落語協会に所属しています。
マネジメントの方は「トヨタアート」で、こちらは1982年に林家木久扇さんが設立しました。
現在は林家木久扇さん、息子の二代目林家木久蔵さん、そして林家きく姫さんが在籍しています。
林家木久扇の年収
林家木久扇さんの年収は公表されていません。
落語家としてテレビ以外での活躍も人気の方なので、年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。
まとめ
元々落語家を目指していたわけではなかった林家木久扇さんですが、『笑点』のレギュラーになり、親しみやすいキャラクターが多くの視聴者の心を掴みました。
現在は健康に問題がないようですが、これからも体に気を付けて、活動を続けていってほしいと思います。