落語家として高座に立つだけではなくテレビでも活動している林家木久扇さんですが、両親や兄弟はどんな人なのでしょうか。
学生時代に通っていた学校はどこにあるのでしょうか。
今回は、林家木久扇さんの出身学校や家族について調べてみました。
林家木久扇の学歴
林家木久扇さんが通っていた学校について調べてみました。
林家木久扇の出身小学校
林家木久扇さんは、中央区立久松小学校に入学しました。
1年生のときには東京大空襲を経験しています。
その後、疎開先の八戸市立柏崎小学校に転校しました。
さらに杉並区立第三桃井小学校に転校、卒業しています。
4年生の頃から映画館でキャンディーを売ったり、新聞配達などしてお金を稼いでいました。
林家木久扇の出身中学
小学校卒業後は、杉並区立荻窪中学校に進学しました。
中学時代のエピソードは明かされていませんが、アルバイトはずっと続けていたそうです。
林家木久扇の出身高校
中学校卒業後は、東京都立中野工科高等学校に進学しました。
林家木久扇さんは食品化学科に在籍、現在は工業科で偏差値は38です。
高校では映画演劇部を創立、中野や新宿の映画館に交渉して映画演劇部は無料、同じ高校の生徒は割引してもらえるようにしたそうで、この活動は当時の新聞にも取り上げられました。
林家木久扇の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
就職し社会人として働いていました。
林家木久扇の実家
講師 林家 木久扇氏をご紹介します!
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日本橋生まれ、下町育ち。世に知られるまでのさまざまな人生へん路と奇略や気智による世の中の泳ぎ方、やさしく、したたかに生きる事を実体験で面白く伝えます。
もちろん落語会も!
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林家木久扇さんは、東京府(現・東京都)日本橋区久松町出身です。
実家は雑貨問屋を営んでおり、林家木久扇さんが5歳くらいまでは裕福で、叔母親子や祖母、お店の番頭さんも一緒に賑やかに暮らしていたそうです。
しかし戦争によって生家が東京大空襲で焼け、戦後は西荻窪にある母親の親戚を頼って移りました。
高校を卒業するまで荻窪で生活していましたが、食べることとお金を稼ぐことばかり考えるほど生活は苦しいものに変わりました。
林家木久扇の生い立ち
49年前の林家木久扇師匠(当時37歳)お若い❗️😆
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憧れの嵐寛寿郎氏(当時72歳・故人)とご対面❗️
林家木久扇師匠の出演、今回入れてあと4回😢#笑点 pic.twitter.com/DA8HYlSE5L
1937年10月19日に誕生した林家木久扇さんは、芝居が大好きだった祖母に連れられて幼い頃から明治座に通っていました。
高校卒業後は牛乳工場に就職するもすごく寒かったため「これは続かない」とすぐに退職、その後絵を描くことが好きだったことから漫画家を目指し清水崑さんに弟子入りしました。
チャンバラの漫画を描いて台詞を色んな声で呼んでいたところ先生から「舞台でやったら」と勧められ、まずは色んな人を演じられる落語を選んだそうです。
そこから林家木久扇さん落語を続けており、インタビューでは「人の言う通りに動いていたら60年経った」と語っていました。
林家木久扇の父親
林家木久扇さんのお父さんは、一般人です。
雑貨の卸問屋をしていたお父さんは、戦争が終わった後もその衝撃から働く気を失ってしまったそうで、お母さんとも離婚しました。
林家木久扇さんはお母さんの元についたため、お父さんのその後については不明です。
林家木久扇の母親
林家木久扇さんのお母さんも一般人です。
お父さんとの離婚後、お母さんは駅で新聞と宝くじを売って働いていました。
林家木久扇さんは「何とかして苦労している母を支えたい」と、小学生の頃から働くようになったそうです。
林家木久扇の兄弟や姉妹
林家木久扇さんは、4人きょうだいの長男です。
下のきょうだいについては情報がなく、わかりませんでした。
両親の離婚により、妹さん1人はお父さんが連れて行ったそうです。
まとめ
戦争によって環境が大きく変わってしまった林家木久扇さんですが、様々な経験をしたからこそ落語家として成功することが出来たのかもしれません。
これからも林家木久扇さんの活躍を応援していきたいですね。