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余貴美子はハーフ!国籍は台湾?父親と母親兄弟は?いとこは范文雀

余貴美子はハーフ!国籍は台湾?父親と母親兄弟は?いとこは范文雀 女優
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余貴美子さんは以前ラジオで「私は外国籍なので」と話されていましたが、国籍はどこなのでしょうか。

余貴美子さんの生い立ちや両親や兄弟、いとこのことなども調べたいと思います。

余貴美子はハーフで国籍は台湾?

余貴美子さんは、客家系台湾人のお父さんと日本人のお母さんとの間に生まれたハーフです。

客家とは、自己認識と独自性の文化を持つ中国の漢民族の一派で、「流浪の民」とも呼ばれています。

元々、余貴美子さんのおじいさんが台湾での事業に見切りをつけて妻子と共に日本に移民したのが1932年で、バナナや紅茶などの輸入や新聞社、炭鉱など、数多くの事業を手がけていました。

余貴美子さんは、2012年に放送されたNHKの番組『ファミリーヒストリー「余貴美子~350年前に遡るルーツ不屈の家族」』にて、「台湾出身なのに、外国人登録証明書の本籍の記載欄には「広東省鎮平村」と書かれていて、子どもの頃から疑問だった」と話されています。

番組では余貴美子さんの先祖をたどり、広東省鎮平村(現・官平村)の客家だった先祖が200年前に台湾に移民し、そこからおじいさん一家が日本に移民したことがわかりました。

外国人登録証明書の本籍には広東省と書かれていますが、おじいさん、お父さんが台湾出身であることから、国籍としては中国なのか台湾なのか調べてみたところ、台湾出身者はみんな国籍が中国だったようで、2009年の法改正で中国籍から台湾籍に改められるようになったそうです。

余貴美子さんは、「日本や中国や台湾というより、私は客家だ」と話されていましたし、現在台湾籍に改めたのかはわかりませんが、お父さんの亡き後日本への帰化をお母さんに勧められた際には「なぜかそんな気にはならない」と帰化を断ったそうなので、どの国籍かというよりも「客家だ」ということの方がご本人には大切なのかもしれませんね。

余貴美子の実家は横浜

余貴美子さんは神奈川県横浜市の出身で、実家も横浜にあります。

余貴美子さんの両親は結婚後、池袋で音楽喫茶を経営されていましたが、区画整理によりお店は閉店し、その後横浜に引っ越します。

横浜の実家では多いときには20人で生活していたそうで、余貴美子さんは、「一族それぞれが商売をしていて全員忙しく、いつもいろいろな人が出入りしている賑やかな家でした」と話されていました。

お父さんは亡くなられていますがお母さんは実家にいらっしゃいますので、余貴美子さんは度々実家に通っているそうですよ。

お母さんも余貴美子さんが足繁く通ってくれていて、嬉しいでしょうね。

余貴美子の生い立ち

余貴美子さんは、1956年5月12日に生まれました。

幼少期は、祖父母、両親、妹、叔父叔母、いとこと一緒に暮らしていて、多いときには20人で生活し、家の中では中国語がとびかっていたそうです。

両親は商売をしていて忙しく、余貴美子さんと妹の世話は祖父母がしていました。

食事は中華料理が中心で、お弁当には海老やチャーシューが入っていて豪華だったそうで、余貴美子さんは家で腸詰めをつくるのを手伝っていたそうですよ。

余貴美子の父親

余貴美子さんのお父さんは客家系台湾人で、名前は「余鴻彰」さんといいます。

お父さんは明治大学の空手部に所属していましたが、空手の演武で、当時日本舞踊を教えていたお母さんと出会い結婚されます。

お父さんは、イケメンで礼儀正しい方だったそうですよ。

結婚した余貴美子さんの両親は、池袋で「パラダイス」という音楽喫茶を経営されていて、お店にはハナ肇さんが通っていたり、ミッキー・カーチスさんなど昭和の名だたる歌手の方々がアルバイトで歌いに来ていたそうです。

その後、区画整理で「パラダイス」が閉店、家族で横浜に引っ越し、横浜駅西口付近で焼き鳥屋やバーを経営されていました。

お父さんはがんで早逝されています。

余貴美子の母親

余貴美子さんのお母さんは日本人で、名前は「京子」さんといいます。

お母さんは東京育ちで、日本舞踊の師範でした。

余貴美子さんのお父さんと出会ったとき、お母さんは「お互いに一目惚れだった」と話されています。

横浜で開いたバーではお母さんが店を回し、お母さん目当てに来るお客さんも多かったことから「美人スタンドバー」という看板を出したこともあったそうですよ。

余貴美子の兄弟や姉妹

余貴美子さんには妹がいて、名前は「富美子」さんといいます。

妹さんについては情報はありませんでしたが、前述した2012年放送のNHK『ファミリーヒストリー』に、余貴美子さん、お母さんと共に妹さんと姪御さん2人が出演していました。

こうして写真を見ると、姉妹で顔が似ていますよね!

余貴美子のいとこは范文雀

余貴美子さんには8歳年上で女優業をしているいとこがいて、その姿に憧れを抱き女優を志したそうなのですが、そのいとこが、女優の「范文雀(はんぶんじゃく)」さんです。

范文雀さんは、余貴美子さんのお父さんの姉の娘で、『サインはV』や『Gメン’75』など、数々のドラマや映画、舞台に出演していました。

1973年に俳優の寺尾聰さんと結婚されますが、翌年に離婚しています。

芸能関係者をはじめ、多くのファンの方々から愛されていた范文雀さんですが、2002年に悪性リンパ腫による心不全で、54歳という若さで亡くなられています。

まとめ

今回は、余貴美子さんの国籍や生い立ち、実家で暮らしていた家族や親戚のことを調べました。

「客家」であることや、幼少期からの家庭環境が、余貴美子さんの出演作に根付いているのでしょうね。

これから出演されるドラマや映画も発表されていますし、放送を楽しみに待ちたいと思います。

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