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中尾彬はなぜねじねじだった?若い頃や代表作・事務所や年収も調査

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首元のねじねじスタイルがトレードマークだった俳優の中尾彬さんは、ドラマや映画だけではなくバラエティー番組でも活躍しました。

何故中尾彬さんはねじねじスタイルを続けていたのでしょうか。

今回は、中尾彬さんの経歴やねじねじなどについて調べてみました。

中尾彬といえばねじねじスタイル

中尾彬さんは、首元のねじねじファッションがトレードマークでした。

この「ねじねじ」は中尾彬さんの妻である池波志乃さんが命名したそうで、池波志乃さんは「だって何て言ったらいいのかわからないから」と明かしていました。

ねじねじは400本ほど所有していましたが、終活で200本を処分したそうです。

中尾彬はなぜねじねじスタイルをしていた?

中尾彬さんがねじねじスタイルをしたのは、2000年頃でした。

元々はインドネシアの染物「バティック」というもので、ドラマのロケのため訪れたインドネシアで、バティックを気に入り大量購入したそうです。

その後帰路に就くため同国の空港へ行くと、飛行機が飛ばないハプニングが起き、中尾彬さんは飛行場で寝ていると首元が寒くなったため買ったバティックを首に巻き、ねじっていたところ偶然ねじねじが完成しました。

すると一緒にいた俳優の神田正輝さんが「いいですね」と褒めてくれたため、中尾彬さんはその気になってねじねじスタイルを続けていくうちにトレードマークになりました。

また中尾彬さんはネクタイが嫌いだったということもあり、ねじねじスタイルがネクタイの代わりになっていたようです。

中尾彬の若い頃がイケメン

中尾彬さんの若い頃の姿はこちらです。

歳を重ねてからも素敵な方でしたが、若い頃は少し雰囲気が異なり、イケメンですね。

中尾彬の代表作

中尾彬さんの代表作は、1975年の映画『本陣殺人事件』です。

この作品で主役の金田一耕助を演じました。

他にも1978年のドラマ『暴れん坊将軍』では初代徳川宗春役を演じ、当たり役と言われています。

中尾彬のプロフィールや経歴

名前:中尾彬
生年月日:1942年8月11日
出身地:千葉県
血液型:O型
身長:175cm
所属事務所:古舘プロジェクト

1962年に日活ニューフェイスの第5期に合格して役者になった中尾彬さんは、フランス留学を経て1964年に帰国し、劇団民藝に研究生として入団しました。

日活映画『月曜日のユカ』の助演で正式にデビューすると新人時代から注目を集め、1970年に日活と民藝を離れてフリーとなってから、各映画会社やテレビで活動を始めました。

中尾彬さんは俳優だけではなく画家を目指していたこともあり、1978年から絵画創作を再開して1978年に個展を2回開催しています。

フランスのル・サロン展では、1981年に「BUNRAKU・狂乱」が大賞、1982年に「COUNTRY・故郷」が国際賞を受賞しました。

1998年のドラマ『GTO』の出演をきっかけに現代劇の出演が増え、バラエティー番組の出演や『グッド!モーニング』などのコメンテーターも務めました。

中尾彬の所属事務所

中尾彬さんは「古舘プロジェクト」に所属しています。

こちらの事務所には妻の池波志乃さん、古舘伊知郎さん、松尾貴史さんらも在籍しています。

中尾彬の年収

中尾彬さんの年収は公表されていません。

生前テレビやCM、インタビューなどマルチに活動していたことから数千万円以上になるのではないかと思われます。

まとめ

2024年5月16日、中尾彬さんは旅立ちました。

空の上でもねじねじスタイルでゆっくり過ごしてほしいですね。

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