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西田敏行の嫁はどんな人?馴れ初めや子供・出身高校や大学についても調査

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ベテラン俳優の西田敏行さんは、これまでに多くの作品に出演していますが、売れっ子になるまでは長い下積みを経験していたようです。

その下積み時代を支えていたのは、奥さんでした。

今回は、西田敏行さんの経歴や奥さんについて紹介します。

西田敏行の嫁はどんな人?

引用元:https://lifenews-media.com/nishidatosiyuki_yome/

1974年、西田敏行さんは寿子さんという女性と結婚しました。

西田敏行さんの4歳年下である寿子さんは、西田敏行さんが所属していた劇団「青年座」に研究生として入団し女優を目指していました。

しかし女優として活動することはなく、現在は一般人として西田敏行さんを支えています。

西田敏行と嫁の馴れ初め

西田敏行さんと寿子さんは、劇団「青年座」で出会いました。

研究生として入ってきた寿子さんに西田敏行さんが一目惚れし、交流を深め、数か月後には寿子さんのアパートで同棲生活を始めたそうです。

この同棲をきっかけに寿子さんは劇団を辞め、西田敏行さんを支えるためにいくつもアルバイトを掛け持ちして生活していました。

その後結婚し、子宝に恵まれ、西田敏行さんは寿子さんに「育児が一段落したら女優に戻ってもいいんだよ」と言いました。

しかし寿子さんは断り、現在も女優の活動を行っていません。

劇団を辞めたときから「西田敏行さんを支えていく」という覚悟を持っていたのかもしれませんね。

西田敏行の子供

西田敏行さんには、2人子供がいます。

1976年7月に長女の彩夏(さやか)さん、1977年に次女の梨沙(りさ)さんが誕生しました。

1980年代にはCMで度々共演していましたが、娘さんたちが芸能界に入ることはありませんでした。

そのため現在の姿や職業については不明です。

西田敏行の学歴

西田敏行さんが通っていた学校について調べてみました。

西田敏行の出身高校

西田敏行さんは、明大付属中野高等学校出身です。

幼い頃から俳優を目指していた西田敏行さんは、中学卒業後に東京に上京、親戚の家に下宿をさせてもらい、こちらの学校に通っていました。

高校ではバレー部に入りましたが、たまたま男子部員が居なくて困っていた演劇部の女子部員から男役として部に協力してほしいと請われ、顧問のような形で演劇部にも参加していました。

また、福島県出身の西田敏行さんは当時福島訛りが抜けず、周りの友達から笑われることがあったため、学校では喋らなかったそうですよ。

西田敏行の出身大学

高校卒業後、西田敏行さんは明治大学農学部に進学しました。

大学入学と同時に日本演技アカデミー夜間部にも入り演技の勉強をしていましたが、大学を中退し、本格的に役者を目指すようになりました。

西田敏行のプロフィールや経歴

名前:西田敏行
生年月日:1947年11月4日
出身地:福島県
血液型:B型
身長:166cm
趣味:落語観賞、プロ野球観戦、海外旅行
特技:即興音楽、乗馬
所属事務所:株式会社オフィスコバック

5歳の時に養子になり、少年時代は映画好きの養父に連れられ映画館へ通っていたという西田敏行さんは、1967年にドラマ『渥美清の泣いてたまるか』で俳優としてデビュー、1968年に青年座俳優養成所に入り、1970年に卒業、その後青年座座員になりました。

1976年に『いごこち満点』や『三男三女婿一匹』で知名度を上げると、『西遊記』や『特捜最前線』に出演し人気を得ました。

『釣りバカ日誌』シリーズでは、1988年から2009年まで主演を務めています。

1989年、1994年には日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞、他にも日本アカデミー賞会長功労賞、報知映画賞最優秀主演男優賞、東京スポーツ映画大賞主演男優賞などを受賞しました。

また歌手としても『もしもピアノが弾けたなら』は大ヒットし、『NHK紅白歌合戦』で2度披露しています。

バラエティー番組にも多数出演しており、『探偵!ナイトスクープ』では、2代目局長を務めていました。

まとめ

下積み時代が長かった西田敏行さんですが、奥さんや子供たちに支えられ俳優活動を続けていくことが出来たのだと思います。

歳を重ね体調面が心配されていますが、今後も俳優としての活躍を応援していきたいですね。

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