雪の日に聴いたザ・ブルーハーツが背中を押し、「このままじゃだめだ」と腹をくくった瞬間に、芸人への道が動き出した水川かたまりさん。
たとえば岡山の公立校で育まれた素直さ、城東高校での探究的な学び、慶應時代の迷いや挫折――どれも今の言葉選びや“間”につながっています。
学生生活ではサッカー部でチームワークを学び、ラジオにのめり込みながら表現の手触りを確かめてきました。
そんな等身大の歩みをたどると、笑いの芯にあるやさしさと頑固さのバランスが見えてくるはずです。
水川かたまり(空気階段)の学歴
幼いころから独特の感性でまわりを笑わせていた水川かたまりさん。
彼の柔らかい話し方やちょっと哲学的なツッコミには、どこか知的な香りが漂いますよね。
そんな個性を育んだのは、どんな学校生活だったのでしょうか。
水川かたまり(空気階段)の出身小学校
水川かたまりさんは岡山市立芥子山小学校出身です。
元気いっぱいで発想が先に走るタイプだったそうで、教室でも校庭でも周りを笑顔にする存在でした。
転機は小学2年の授業参観。
ついはしゃぎすぎてしまい、お父さんとお母さんが20分ほどで帰ってしまった出来事が心に刺さります。
家で一日だけ口をきいてもらえなかった経験をきっかけに、振る舞いを見直し、場の空気を読む姿勢が育ちました。
この時期に身についた“勢いと抑制のバランス”は、その後の間の取り方やツッコミの精度にもつながっていくはず。
明るさを保ちながら節度を学んだ教室が、今の芸風の原点です。
水川かたまり(空気階段)の出身中学
小学校を卒業した水川かたまりさんは、地元の岡山市立旭東中学校へ進学しました。
幼いころから人を笑わせるのが得意でしたが、この頃は部活動に熱中していたそうです。
所属していたのはサッカー部。
練習量も多く、仲間との連携やチームワークを学ぶ時間が増えた時期でした。
フィールドの中では、ムードメーカーとしてチームを盛り上げる存在だったとか。
勝ち負けよりも雰囲気を大切にし、誰かが落ち込めば自然に声をかける。
そんな気配りが後の芸人としての「間」や「空気の読み方」に通じているようにも感じます。
スポーツを通して養われた集中力と協調性は、ネタづくりや舞台でのやり取りにも活きているはず。
旭東中学校での3年間は、笑いの根っこにある“人との関わり方”を深めた大切な時間だったのでしょう。
水川かたまり(空気階段)の出身高校
中学卒業後は岡山県立岡山城東高等学校へ進学し、普通科の国際教養学類に在籍。
学習密度が高い環境で鍛えられ、偏差値は67とされています。
探究型の課題や発表が多く、言葉の選び方や伝え方が磨かれた時期です。
高1の夏にはバンクーバーに語学留学。
通じないもどかしさを乗り越えるうちに、臆せず話す姿勢と“間”の感覚が育ちました。
また『ポンキッキーズ』の「爆チュー問題」をきっかけに、友人から爆笑問題のラジオを勧められて深夜ラジオに没入。
さまざまな芸人さんの番組を聴き込み、構成やタイミングを耳で学んだ体験が、現在の言葉運びに結びついています。
水川かたまり(空気階段)の出身大学
高校卒業後は慶應義塾大学へ進学し、法学部政治学科に在籍しました。
偏差値は68とされ、幅広い時事・制度に触れる講義が多く、議論の筋道を立てる力が鍛えられる環境です。
ノートづくりや要約の癖は、この頃に一段と洗練されたのでしょう。
当時の水川かたまりさんは、まだ芸人という進路を思い描いていません。
サッカーに関わる仕事や高校教員など、人に向き合う職を志向していたそうです。
フィールドで培ったチームワークと、言葉で整理して伝える力を結びつけたい気持ちがにじみます。
一方で、大学生活は順風満帆ではありません。
テニスサークルで岡山弁をからかわれた経験が心に影を落とし、ふと会話の歯車が噛み合わなくなる瞬間が増えたのでしょう。
地元の言葉は自分の根っこ。
そこを軽く扱われた痛みは、想像以上に深いものです。
心の蓋を閉じるように、大学から距離をとる時間が始まります。
休学という選択は、立て直しのための小休止でもありましたが、最終的には退学へ。
挫折の輪郭ははっきりしていますが、その経験が後の笑いに通う“体温”を生み、他者の痛みに寄り添う視線を育てたと考えられます。
皮肉にも、言葉で傷ついた出来事が、言葉で救う表現者への入口になりました。
政治学で身につけた構造への目配りと、個人の感情に寄る感度。
この二つが今の語り口に同居しています。
水川かたまり(空気階段)の本名
昨日7月22日は空気階段 水川かたまりの31歳の誕生日です‼‼
— ヨシモト∞ホール【閉館】 (@Y_mugendai_hall) July 23, 2021
かたまりさん1日遅くなり申し訳ありませんでした🙇♂️これからも水川かたまりの応援お願いいたします✨ pic.twitter.com/EtvGhsON3E
水川かたまりさんの本名は「水川航太」さんです。
舞台名の“かたまり”は、お母さんとの何気ない会話から生まれました。
当時、芸名について相談すると「あなた、よく固まっているから『かたまり』がいいんじゃない」と一言。
その照れくさくも的確な指摘がツボに入り、そのまま名乗ることにしたそうです。
少し不器用さを含んだ呼び名は、緊張や間合いを味方にする彼の芸風とも相性ぴったり。
家庭のユーモアが、いまや多くの人に知られる看板になりました。
水川かたまり(空気階段)のプロフィールや経歴
名前:水川かたまり
生年月日:1990年07月22日
出身地:岡山県
血液型:AB型
身長:173cm
体重:51kg
所属事務所:吉本興業東京本社
大学を離れて心の拠り所を探していた時期、ふと触れたお笑いに救われたといいます。
「お笑い、面白いじゃん!」という素直な驚きが、止まっていた時間を少しずつ動かしました。
迷いの中で芽生えた好奇心です。
そして雪の日の散歩。
イヤホンから流れたザ・ブルーハーツ「未来は僕等の手の中」が背中を押しました。
冷たい空気の中で「このままじゃだめだ」と腹をくくる瞬間。
表現の側に立つ決意が固まります。
行き先はNSC。
東京校17期として入学し、まずは「デデ」というコンビで現場に立ちました。
汗の量に比例して失敗も増えるものですが、その試行錯誤が、言葉の選び方や間の取り方を確かに鍛えていきます。
やがて「デデ」は解散。
しかし、ここで終わりません。
鈴木もぐらさんからの誘いを受け、「空気階段」を結成。
互いの弱さも強みもさらけ出せる距離感で、奇妙さと情の温度が共存するコントが形になっていきました。
賞レースでも足跡ははっきり。
『キングオブコント2015』で準決勝に初進出し、2019年・2020年は決勝へ。
ネタの骨格と情景の濃さが年々増していき、2021年にはついに頂点へ。
『キングオブコント2021』優勝という結果は、積み上げの総和でした。
舞台の外でも表現は広がります。
ドラマ『妻、小学生になる。』や『罠の戦争』に俳優として出演。
台本の行間を拾う繊細さは、コントで培った“目線”の賜物でしょう。
役の呼吸を自分の生活に引き寄せるのが上手です。
振り返れば、閉じこもる時間も遠回りではありませんでした。
音楽に揺さぶられ、相方と出会い、舞台で確かめ続ける日々。
つまずきと回復のリズムごと作品に織り込む姿勢が、今の水川かたまりさんを形作っています。
水川かたまり(空気階段)の性格
検索では「サイコパス」「マザコン」と極端な言葉が並びますが、実際は“冷静な観察眼”と“感情の暴走”が同居するタイプです。
芸名をお母さんに相談し、「お母さんの言うことは絶対」「好きなタイプはお母さん」と語る一方で、フットサルで先輩を泣かせた際に「耳に当たったくらいで…」と口走る不器用さも見えます。
2018年のキングオブコント後には悔しさから泥酔し、同棲先で冷蔵庫の中身を入れ替え全裸で寝ていたという破天荒な逸話も。
ただ、舞台やラジオでは構成が緻密で、弱点を笑いに変える手際は鮮やかです。
母性への強い依存と自立への揺れ、理知と衝動の振れ幅。
矛盾があるからこそ他者の痛みと可笑しみを同時に拾える人だと感じます。
水川かたまり(空気階段)の年収
水川かたまりさんの年収は公表されていませんが、テレビ出演や劇場ライブ、ラジオ・俳優業など幅広く活動していることを踏まえると、相当な水準にあると考えられます。
『キングオブコント2021』での優勝を機に、地上波や配信番組での露出が急増。
単独公演も好評で、原作提供やトークイベントなどソロでの仕事も増えています。
こうした多角的な収入源を合わせると、少なくとも年収は数千万円規模に達している可能性が高いでしょう。
ただし本人は金銭よりも“作品の完成度”を優先するタイプ。
派手な生活より、構成やセリフ回しを練る時間に価値を置いているようです。
努力が数字より作品に反映される、職人気質の芸人といえます。
まとめ
学生時代の水川かたまりさんは、サッカーや探究学習に打ち込みつつも進路は定まらず、芸人という選択肢は視界にありませんでした。
雪の日に聴いたザ・ブルーハーツが心を突き動かし、NSCへ。
そこで鈴木もぐらさんと出会い「空気階段」を結成し、『キングオブコント2021』優勝へと歩を進めます。
母性への強い敬意と冷静な観察眼、時に暴れ出す衝動――矛盾を抱えたまま笑いへ昇華する姿は、俳優としての表現にも広がりました。
等身大の弱さを抱えた表現者が、言葉の温度と間で観客を惹きつける今。
新しい挑戦がどんな景色を見せてくれるのか、これからも静かに追いかけたくなります。
