お笑いコンビ「ちょんまげラーメン」(旧・インディアンス)として活動している田渕章裕さんですが、実家が素麺屋という話をご存じでしょうか。
実は、あの有名なそうめんブランドが関係していました。
田渕章裕さんの実家はどこにあり、お父さんやお母さん、ご兄弟はどんな人たちなのでしょうか。
今回は、田渕章裕さんの実家と家族について調べてみました。
ちょんまげラーメン田渕章裕の実家は揖保乃糸を作る製麺所
田渕章裕さんの実家は、そうめんの名産地として知られる兵庫県たつの市にある製麺所です。
作っているのは、全国的に知られたそうめんのブランド「揖保乃糸」でした。
これは噂ではなく、田渕章裕さん本人がテレビ番組で何度も語っている話です。

揖保乃糸って有名なやつ?

本人がテレビで話しています
実家があるのは兵庫県たつの市
田渕章裕さんの出身地は、兵庫県たつの市です。
正確には、平成の大合併でたつの市の一部となった旧・揖保郡新宮町の生まれでした。
このあたりは播州平野の西部にあたり、揖保川の流域に沿って古くから手延そうめん作りが盛んな地域です。
冬の乾いた風と良質な水、そして地元で採れる小麦がそろっていたことから、そうめん作りが冬場の仕事として根づいてきました。
田渕章裕さんは、まさにその産地のまん中で育った人ということになります。
本人がテレビ番組で語った実家の家業
実家の家業が広く知られるきっかけになったのは、2023年9月26日に放送された『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)でした。
インディアンスとして出演していた田渕章裕さんが、実家が揖保乃糸を作っている業者のひとつだと明かしています。
その後も、2025年7月に掲載された女性セブンプラスのインタビューで、実家のそうめんにまつわる子どもの頃の思い出を詳しく語りました。
さらに2026年5月3日放送の『上沼・高田の釘付け!』(読売テレビ)でも家業の話題が取り上げられ、上沼恵美子さんが実家のそうめんを絶賛する場面がありました。
2023年から2026年にかけて、複数の番組と雑誌で本人が同じ話をしています。
実家が揖保乃糸を作る製麺所であることは、本人の言葉として裏づけのある話だと言えます。
実家の会社名について言われていること
一方で、実家の会社名そのものについては、田渕章裕さん本人も所属事務所も明らかにしていません。
ネット上では「田渕製粉製麺株式会社」という社名が挙げられており、複数のサイトが同じ名前を記載しています。
ただし、この社名が出てくるのはいずれも個人による書き込みや二次的な情報で、本人の発言や報道で名前が出たことはないようです。
そのため、この社名についてはあくまでネット上でそう言われている段階の情報として受け取っておくのがよさそうです。
実家が一般の家庭である以上、番組で家業の内容までは話しても、店の名前までは伏せておきたいという事情もあるのかもしれません。
揖保乃糸を作る会社は1社ではない
「実家が揖保乃糸を作っている」と聞くと、あの有名ブランドを一手に握る大きな会社をイメージする人が多いかもしれません。
ところが、揖保乃糸はそういう仕組みのブランドではありませんでした。
ここを知っておくと、田渕章裕さんの実家がどういう立ち位置なのかがぐっと分かりやすくなります。
揖保乃糸は組合に加盟する製麺所が作るブランド
揖保乃糸は、兵庫県手延素麺協同組合が管理している共同のブランド名です。
播州地域でそうめん作りを続けてきた製麺所が組合に加盟し、その基準を満たしたものだけが揖保乃糸として出荷される形になっています。
加盟しているのは1軒や2軒ではなく、300軒を超える規模だと言われています。
つまり、スーパーで買った揖保乃糸を10袋並べたとしても、それを作った製麺所は同じとは限らないということです。
原料の小麦粉は組合が一括で調達し、出荷前の検査も組合が行っています。
どの製麺所が作っても同じ品質になるように、産地全体で仕組みを整えてきたブランドなのです。

1社が作ってると思ってた

産地全体のブランドなんです
ちなみに、袋を束ねている帯の色によって等級が分かれているのも揖保乃糸の特徴です。
細さや製法の違いでいくつかのランクがあり、贈答用に選ばれる上位の等級ほど作れる時期や作り手が限られていきます。
田渕章裕の実家は産地を支える一軒
この仕組みをふまえると、田渕章裕さんの実家は、揖保乃糸というブランドを支える多くの製麺所のうちの一軒ということになります。
ネット上では「実家が揖保乃糸の会社」という言い方から、ものすごい資産家の家に生まれたのではないかという声も見かけます。
ただ、実際には産地の家業を代々受け継いできた作り手の一軒であり、ブランド全体を所有しているわけではありません。
むしろ、冬になると家族総出でそうめんを干すような、地元に根づいた働き方に近いはずです。
田渕章裕さんが芸人になったあとも実家のそうめんを人に配り続けているのは、家業への距離感がそれだけ近いからなのかもしれませんね。
田渕章裕の父親は製麺とカメラマンの二足のわらじ
田渕章裕さんのお父さんは一般の方のため、名前や年齢、顔写真などは明らかにしていません。
ただ、仕事についてはかなり具体的な話が本人の口から語られています。
そうめん作りとカメラマンという、少し変わった組み合わせでした。
お父さんが手がけてきた2つの仕事
お父さんは実家の製麺所を継いだ2代目にあたります。
そのうえで写真の仕事も手がけており、田渕章裕さんは実家が写真館でもあると話していました。
一見すると接点のない2つの仕事ですが、そうめん作りには季節がはっきりあります。
手延そうめんは寒い時期に仕込むのが基本で、産地では冬が最も忙しい季節になります。
そうした働き方の中で、写真の仕事と並行してきたのだとみられます。
現在は写真の第一線からは退いているものの、カメラそのものへの愛着は今も変わっていないそうです。
M-1優勝とカメラのレンズをめぐる約束
そのカメラ好きが、親子の間で有名なエピソードを生みました。
田渕章裕さんがお父さんに向かって、こう言い切ったことがあったのです。
「M-1で優勝したら、親父が欲しがっていた100万円以上するカメラのレンズを買うたる」
お父さんの反応は「そんなんどうせムリやろ」といったもので、まともに取り合ってもらえなかったようです。
それでも田渕章裕さんは「いや、絶対買うたる!」と返してしまいました。
ところが、インディアンスとして活動していた2019年に、本当にM-1グランプリの決勝へ進出します。
このときのインタビューでは「買わなアカンっぽい…」と、うれしさと焦りの混じったコメントを残していました。

100万円のレンズ!?

本人が約束したそうです
インディアンスは2019年から2021年まで3年連続でM-1の決勝に進み、2021年には3位という結果を残しています。
優勝には届かなかったため、レンズの約束がその後どうなったのかは語られていません。
ちなみに家族の中で一番明るいのはおばあちゃんで、その次がお父さん、3番目が田渕章裕さんなのだそうです。
あれだけにぎやかな芸風の田渕章裕さんが3番目というのですから、実家の食卓はかなりの音量だったのかもしれませんね。
田渕章裕の母親と兄弟
田渕章裕さんは3人きょうだいの真ん中で、お兄さんと妹さんがいます。
お母さんを含め、ご家族はいずれも一般の方です。
そのため名前や年齢、顔写真といった情報は表に出ていませんが、本人が語ったエピソードからは人柄がうかがえます。
母親はどんな人?
お母さんについては、お父さんと同じく名前や顔写真などの情報はありませんでした。
ただ、田渕章裕さんは自分の顔立ちについてお母さん似だと話しています。
「俺の高い頬骨は母親ゆずり」という言い方で、自分の特徴的なパーツの出どころを明かしていました。
あの表情の豊かさが際立って見えるのは、この骨格によるところも大きいのかもしれません。
家族の明るさランキングでおばあちゃんとお父さんの名前が挙がっていたことを考えると、お母さんは家の中でにぎやかな面々をまとめる側だったのではないかとみられます。

頬骨はお母さん譲りなんだ

本人がそう話しています
田渕章裕の兄と妹
田渕章裕さんにお兄さんと妹さんがいることは、プロフィール情報として広く知られています。
お2人とも一般の方のため、名前や年齢は明らかにされていません。
職業についてはネット上でいくつかの情報が出回っています。
お兄さんはデザイナーで、ドラマ『相棒』や映画『交渉人』といった作品のポスターを手がけているという話です。
妹さんについては栄養士だと言われています。
ただし、これらはいずれも複数のまとめサイトに同じ内容が並んでいるもので、本人の発言や公式のプロフィールで語られたものではないようです。
そのため、ネット上ではそう言われている情報として受け止めておくのがよさそうです。
もし本当だとすれば、デザイン、栄養、お笑いと、きょうだいでまったく違う道へ進んだことになります。
そうめん作りの家に生まれながら、誰も家業をそのまま継がなかったという点も、この一家らしいところなのかもしれませんね。
そうめんと共に育った田渕章裕の子ども時代
実家が製麺所だと聞いて、多くの人が気になるのが「そんなに毎日そうめんを食べるのか」という点ではないでしょうか。
これについて、田渕章裕さんははっきりと答えを出しています。
結論から言えば、食べていました。
夏休みの昼ごはんは毎日そうめん
2025年7月に掲載された女性セブンプラスのインタビューで、田渕章裕さんは子どもの頃の食卓について語りました。
夏休みの昼ごはんは、毎日そうめんだったそうです。
週に何度かではなく、夏休みのあいだずっとという話でした。
実家に商品としてのそうめんが常にある環境ですから、家庭の昼食としては自然な流れだったのでしょう。
それでも、育ち盛りの子どもにとって毎日同じ麺というのはなかなかの試練だったはずです。

毎日そうめんはキツい!

そのぶん食べ方には厳しかったようです
薬味にこだわる父親とのやり取り
そして、ただ毎日食べていただけではありませんでした。
作り手であるお父さんは、そうめんの食べ方にもこだわりを持っていたようです。
田渕章裕さんが薬味にわさびを入れようとしたところ、お父さんに激怒されたというエピソードを明かしています。
そうめんの薬味といえばネギやしょうが、みょうがあたりが定番です。
わさびは麺の風味を覆い隠してしまうという考えがあったのかもしれません。
自分たちが手をかけて作ったそうめんだからこそ、その味を素直に受け取ってほしいという気持ちがあったのだと思われます。
もっとも、その後は考え方も変わってきているようです。
近年は、お父さん公認でアレンジを試すという話も出てきていました。
厳しく怒られた側が、大人になってから許可を取りにいく形になっているのが何とも微笑ましいところです。
芸人仲間に実家のそうめんを配るように
芸人になってからも、田渕章裕さんと実家のそうめんの関係は続いています。
芸人仲間や番組の共演者に、実家のそうめんを贈ることがあるそうです。
実家の家業がテレビで紹介されるたびに、この話もセットで広がってきました。
2026年5月放送の『上沼・高田の釘付け!』でも実家のそうめんが話題にのぼり、上沼恵美子さんが絶賛する場面がありました。
子どもの頃は毎日食べさせられていたそうめんが、今では自分と相手をつなぐ道具になっているわけです。
ネット上でも、そうめんから逃げられない人生だと面白がる声が上がっています。
ちょんまげラーメンに改名したときの父親の反応
そうめん一家に育った田渕章裕さんですが、2025年に大きな出来事がありました。
コンビ名が「インディアンス」から「ちょんまげラーメン」に変わったのです。
そして、この改名にお父さんが返した一言が、ネット上で笑いを集めることになりました。
2025年6月にコンビ名が変わった
改名が発表されたのは、2025年6月18日に放送された『水曜日のダウンタウン』(TBS系)でした。
番組の企画の中で、コンビ名を「ちょんまげラーメン」に変更することが明らかにされています。
旧コンビ名に差別的な意味が含まれる可能性が指摘されたことが、名前を変える決め手になったと語られました。
翌6月19日には『ラヴィット!』(TBS系)に生出演し、あらためて経緯を説明しています。
同じ日、X(旧Twitter)では「ちょんまげラーメン」がトレンド入りしました。
SNSやYouTubeのアカウント名も、この日を境に新しいコンビ名へ切り替わっています。
「そうめんちゃうんか」という一言
新しいコンビ名を知ったお父さんの反応が、これでした。
「そうめんちゃうんか…」
そうめんを作ってきた家に生まれた息子が、よりによってラーメンを名前に選んだのです。
怒るでも喜ぶでもない、静かに落胆したようなこの一言は、ネット上で大きな反響を呼びました。
SNSでは「完成されたツッコミ」「麺は麺でも違う方」「そうめんDNAが泣いている」といった反応が並んでいます。

ラーメンじゃなくてそうめんなのに

そこが面白がられています
ちなみに「ちょんまげラーメン」という名前は、相方のきむさんに好きな言葉を尋ねたところ「ラーメン」という答えが返ってきたことから生まれています。
そこに、田渕章裕さんがあらかじめ考えていた「ちょんまげ」を組み合わせた形でした。
実家のそうめんが候補に入る余地はなかったことになります。
この一件以降、テレビで実家の話題が出るたびに改名ネタもセットで掘り起こされるようになりました。
お父さんの一言が、結果的に親子そろっての持ちネタになっているようです。
地元たつの市との今のつながり
大学を出て大阪で芸人になった田渕章裕さんですが、地元を離れて終わりにはなりませんでした。
現在は、たつの市から正式な役目を任される立場になっています。
実家のそうめんの話が広まったことも、その流れを後押ししたようです。
たつのふるさと親善大使に就任
2022年11月10日、田渕章裕さんは「たつのふるさと親善大使」に就任しました。
出身地であるたつの市の魅力を、外に向けて発信していく役目です。
当時はまだインディアンスとして活動しており、M-1グランプリで3年連続決勝進出を果たした直後の時期にあたります。
就任式の様子はニュースでも取り上げられました。
そうめんの産地に生まれた芸人が、その産地の顔として立つことになったわけです。
テレビで実家の話をするたびに、たつの市と揖保乃糸の名前が全国に届くという意味では、これ以上ない人選だったのかもしれません。

地元の大使になってる!

そうめんの産地そのものですね
改名後の活動
コンビ名が変わってからも、活動は途切れることなく続いています。
2025年8月16日には、改名後初となる単独ライブ「心を込めて準備中」をルミネtheよしもとで開催しました。
M-1グランプリについては、2025年大会がラストイヤーにあたりました。
2019年から2021年まで3年連続で決勝に進み、2021年には3位という成績を残したコンビとしての区切りです。
2026年には結成15年以上のコンビが出場する『THE SECOND〜漫才トーナメント〜』に参戦しています。
そして2026年9月5日には、単独ライブ「湯切リーゼント」を新宿ルミネtheよしもとで開催することが決まりました。
ライブのタイトルにまでラーメンの気配が漂っているのは、新しいコンビ名を引き受けたからこその遊び心でしょう。
そうめんの家に生まれた芸人が、ラーメンの名前でどこまで行くのか。
お父さんの「そうめんちゃうんか」という言葉は、まだしばらく回収されそうにありません。
まとめ
今回は、ちょんまげラーメンの田渕章裕さんの実家や家族、学歴について調べてみました。
実家は兵庫県たつの市にある製麺所で、揖保乃糸を作っている業者のひとつでした。
これは噂ではなく、本人が複数のテレビ番組や雑誌のインタビューで語っている話です。
ただし揖保乃糸は組合に加盟する300軒を超える製麺所が支える共同のブランドで、一社が独占しているものではありません。
田渕章裕さんの実家は、その産地を支える一軒ということになります。
お父さんはそうめん作りの2代目でありながらカメラマンとしても活動し、写真への愛着から100万円のレンズをめぐる親子の約束が生まれました。
夏休みの昼ごはんが毎日そうめんだったことや、薬味にわさびを入れて激怒された話など、作り手の家ならではのエピソードも語られています。
2025年6月にコンビ名がインディアンスからちょんまげラーメンへ変わった際、お父さんが漏らした「そうめんちゃうんか」という一言も話題になりました。
そうめんの産地で育った田渕章裕さんが、ちょんまげラーメンとしてこれからどんな活躍を見せてくれるのか楽しみですね。
出典まとめ
- デイリースポーツ|出身高校に関する本人の発言(2024年4月19日)
- スポニチアネックス|『踊る!さんま御殿!!』での実家に関する発言(2023年9月26日)
- ORICON NEWS|『上沼・高田の釘付け!』出演時の家業に関する話題(2026年5月)
- TBS NEWS DIG|コンビ名変更の発表について
- 日刊スポーツ|『ラヴィット!』での改名経緯の説明(2025年6月19日)
