アイドルデュオ「Wink」のメンバーとして活動していた相田翔子さんは、昔から男女問わず「可愛い」と支持されてきました。
そんな相田翔子さんが芸能界に入ったきっかけは何だったのでしょうか。
今回は、相田翔子さんの経歴や病気について調べてみました。
相田翔子の若い頃がかわいい!
ネット上では、昔の相田翔子さんが可愛いと話題になっています。
昔の相田翔子さんは美少女ですね。
男性だけではなく女性からも高く支持され、「憧れだった」という声も多く聞かれていました。
相田翔子は現在もかわいい!
続いては、現在の相田翔子さんの姿です。
若い頃と変わらず、可愛くて美しいですよね。
現在50代で、10年以内に還暦を迎える女性には全く見えません。
相田翔子のプロフィールや経歴
名前:相田翔子
生年月日:1970年2月23日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:160cm
所属事務所:アップフロントクリエイト
女子プロレスの「クラッシュギャルズ」の大ファンだった相田翔子さんは、中学生の時にレスラーを目指しオーディションに応募してみたものの、「中学生は受け入れていない」と返ってきてしまいました。
同じ頃、芸能界オーディションの応募が流行っており、相田翔子さん自身も歌は好きだったものの、人前で歌うのは恥ずかしいと躊躇していたそうです。
しかし「一緒に行こう」と友だちに誘われて一度だけ受けてみたところ、結果は落ちてしまいましたが、モデル事務所に声を掛けられ、芸能界に入ることになりました。
1987年9月には雑誌『UP TO BOY』の第9代ミスアップ・グランプリを受賞、高校卒業後の1988年4月に鈴木早智子さんと「Wink」を結成し、歌手デビューを果たしました。
シングル3作目愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」でブレイクすると、トップアイドルの仲間入りを果たし、1989年12月にはシングル5作目となる「淋しい熱帯魚」で第31回日本レコード大賞を受賞しました。
当時Winkは「無表情でほとんど笑わないアイドル」として知られ、当時の所属事務所からは、笑うよう叱責されていたものの、相田翔子さん曰く「当時は突然の人気に戸惑い、ずっと緊張が解けなくて笑うことができなかった」のだそうです。
1996年3月にWinkの活動が停止するとソロで『世界ウルルン滞在記』、『笑っていいとも!』、『メレンゲの気持ち』、『いいはなシーサー』といった数々のバラエティ番組で司会、レギュラーを務めるようになりました。
また『花とアリス』、『七色のおばんざい』などの映画やドラマにも出演し、女優・TVタレントとしても幅広く活躍しています。
相田翔子は難聴や耳鳴りに悩まされてる?
相田翔子さんは、インタビューの中で突発性難聴やメニエール病を公表しています。
初めはWinkが結成7年が過ぎた25歳のころ、事務所からWinkの活動停止を言われて間もなく、突然、右耳の不調に見舞われました。
船の汽笛のようなボーという大音量の耳鳴りがして、人の話が聞き取りにくくなってしまい、病院で突発性難聴と診断され、2週間入院しました。
この時、相田翔子さんは「全盛期の勢いはなくても、2人で続けたかった」という思いがあり、事務所からソロ活動を勧められ「一人じゃ無理、解散なら引退したい。どうしたらいいの…」と激しい葛藤を抱えていたそうです。
入院中は薬物治療を受け、目覚ましい効果はなかったものの、相田翔子さんは「普通の女の子が、多くの人に歌を届けることができたなんて奇跡。人前に出るのが苦手でも歌を続けなきゃ」と気持ちを切り替えたところ、症状が徐々に回復していきました。
しかし2008年に結婚し披露宴を終えたとき、以前の突発性難聴と同じ右耳が難聴と耳鳴りに襲われ、脂汗が出て、眩暈もするようになってしまったのです。
この時の診断は、メニエール病でした。
仕事をしながら、家庭でも新しい暮らしに慣れていったものの、調子が悪いと話が聞きとりにくいこともあったそうです。
さらにメニエール病が悪化したのは長女が幼稚園に入ってからで、この時は「久しぶりの知らない世界。毎日の送り迎えは、ママたちがわっといて、おつきあいもあって…」と、新しい環境が相田翔子さんの中で過度なストレスになってしまっていました。
メニエール病の症状は今もあるとのことですが、相田翔子さんは「耳鳴りは一生付き合っていく病気なのかな。あまり考え込まずにね」と話し、上手く病気と付き合っているようです。
まとめ
レスラーに憧れていた相田翔子さんでしたが、芸能界に入り、アイドルとしてブレイクを果たし、現在は女優やタレントとして活躍しています。
これからも相田翔子さんにとって無理のないペースで芸能活動を続けていってほしいと思います。