歌舞伎役者の坂東彌十郎さんは、どんな方なのでしょうか。
学生時代はどこの学校に通っていたのでしょうか。
今回は、坂東彌十郎さんの経歴や出身学校、年収などについて調べてみました。
坂東彌十郎の若い頃はどんな感じ?
坂東彌十郎さんは、1973年に初舞台を踏みました。
この時の坂東彌十郎さんは17歳で、歌舞伎役者としては遅咲きと言われています。
デビュー後も183cmという歌舞伎界きっての背の高さがハンディとなって、役に恵まれませんでした。
しかし地道に活動を続け、現在の活躍に繋がっています。
坂東彌十郎の名前の読み方
坂東彌十郎さんの名前は、「ばんどう やじゅうろう」と読みます。
ファンからは「やじゅさん」と親しみを込めて呼ばれているそうですよ。
坂東彌十郎のプロフィールや経歴
名前:坂東彌十郎
生年月日:1956年5月10日
出身地:東京都
血液型:O型
身長:183cm
所属事務所:松竹エンタテインメント (業務提携)
「どうしても歌舞伎役者になりたい」と望み、八代目三津五郎一門に入門した坂東彌十郎さんは、1973年5月の歌舞伎座『奴道成寺』の所化観念坊で坂東弥十郎(現・坂東彌十郎)を名乗って初舞台を踏みました。
しかし1975年1月に三津五郎さんがフグに中って不慮の死を遂げ、十四代目守田勘彌の門に移たものの、2か月後には守田勘彌さんも旅立ってしまったことから後ろ盾を失くすかたちとなり、役がつかなくなったため、実家に戻ってお父さんのもとで一般演劇にも出演するようになったのです。
1978年の『五大力恋緘』(五大力)の男芸者、『人情噺文七元結』(文七元結)の鳶の頭で名題に昇進し、以降は猿之助一座で立役、敵役、老役と幅広い役柄をこなし、1998年に真山青果賞奨励賞を受賞しました。
三代目猿之助演出のオペラ『コックドール』等では演出助手を務め、坂東玉三郎さんの『夕鶴』の演出も手がけるなど注目を集めていましたが、「もっと海外でやってみたい」との思いが芽生えたことから一門を離れました。
その後、同世代の十八代目中村勘三郎さんによる「平成中村座」に参加、2014年には長男の坂東新悟さんと自主公演「やごの会」を立ち上げ、2016年にはフランス、スイス、スペインの3ヵ国をめぐるヨーロッパ公演も行っています。
2022年には、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で北条時政役に抜擢、話題を集めています。
坂東彌十郎の年収
坂東彌十郎さんの年収は公表されていません。
トップクラスの歌舞伎役者は5000万円~1億円以上稼いでいるといわれていますが、それはほんの一握りの方だそうです。
坂東彌十郎さんも多くの舞台に出演していますが、トップクラスというほどではないようなので、年収は5000万円以下ではないかと思われます。
坂東彌十郎の学歴
坂東彌十郎さんが通っていた学校について調べてみました。
坂東彌十郎の出身小学校
坂東彌十郎さんは、千代田区立麹町小学校出身です。
幼少の頃より背が高かったという坂東彌十郎さんは、「サンマ」というニックネームもあったそうです。
坂東彌十郎の出身中学
小学校卒業後は、暁星中学校に進学しました。
こちらの学校の偏差値は、64~68です。
中学・高校の同級生には、3代目中村又五郎さんがいました。
坂東彌十郎の出身高校
中学校卒業後は、明星高等学校(偏差値71)に進学しています。
坂東彌十郎さんは中学からの内部進学という形でこちらの学校に通っていました。
坂東彌十郎の出身大学
高校卒業後は、大学に進学していません。
「歌舞伎役者になりたい」という強い気持ちがあったため、進学は希望しなかったようです。
まとめ
10代~20代の頃は歌舞伎役者としてあまり注目されることがなかった坂東彌十郎さんですが、今では海外でも公演を行い、歌舞伎を世界に発信しています。
今後も坂東彌十郎さんの活躍を応援していきたいですね。