歌舞伎界随一の高身長で時代・世話物を問わずさまざまな役柄を演じることで注目を集めている歌舞伎役者の坂東彌十郎さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。
調べてみると、坂東彌十郎さんの家族は凄い方ばかりでした。
今回は、そんな坂東彌十郎さんの家族について調べてみました。
坂東彌十郎の家系図がすごい!
坂東彌十郎さんの曽祖父は、歌舞伎役者で、新富座(旧守田座)の座元も兼ねて名興行師と呼ばれた十二代目守田勘彌さんです。
そして祖父は、古典歌舞伎・新歌舞伎・新作歌舞伎だけではなく、新派の新作劇や翻訳劇もこなした十三代目守田勘彌さんです。
お父さんは歌舞伎役者、映画役者として活動した坂東好太郎さんで、坂東彌十郎さんは幼い頃から役者という存在が身近にありました。
現在、坂東彌十郎さんの息子である坂東新悟さんも歌舞伎役者として活動しています。
坂東彌十郎の本名
坂東新悟さんの本名は、「本間寿男 (ほんまひさお)」さんと言います。
名前の由来については明かされていないため、分かりませんでした。
坂東彌十郎の父親は歌舞伎役者ではなかった
坂東彌十郎さんのお父さんは、坂東好太郎さんです。
1922年に澤村健太郎として初舞台を踏み、1924年から坂東好太郎を名乗り歌舞伎役者として活動、20歳のときに松竹下加茂撮影所専属の映画俳優に転じ、翌年『世直し大明神』でデビューしました。
以後、林長二郎さんや高田浩吉さんとともに「下加茂の三羽烏」と呼ばれ、多くの時代劇映画に出演ていました。
しかし1962年9月、八代目坂東三津五郎の襲名披露興行を契機に歌舞伎の世界に戻り、多数の舞台に出演しています。
1981年11月28日、70歳で天国へと旅立ちました。
坂東彌十郎の師匠
坂東彌十郎さんが歌舞伎の世界に入った時の師匠は、八代目坂東三津五郎さんでした。
しかし1975年に八代目坂東三津五郎さんが亡くなり、十四代目守田勘彌さんの門に入るも、十四代目守田勘彌さんも2ヶ月で亡くなってしまったのです。
その後は、1983年から15年間三代目市川猿之助さんの門下に入りました。
坂東彌十郎の母親
坂東彌十郎さんのお母さんは、2022年1月に91歳になりました。
坂東彌十郎さんのブログでは、現在老人ホームに入っているとのことでした。
2022年2月のブログには「大河ドラマ3話まではテレビを観て反応していたそうです」と綴っています。
坂東彌十郎の兄弟
坂東彌十郎さんは、三人兄弟の三男です。
お兄さんの一人である二代目坂東吉彌さんは、関西歌舞伎の脇役で活躍しました。
坂東彌十郎さんはお兄さんについてブログで「異母兄弟で、歳も19離れていましたが父亡きあとは父親のように厳しく優しくしてくれました。そして役者としても大尊敬する先輩でした」と明かしていました。
まとめ
曽祖父、祖父が歌舞伎役者で、お父さんも映画役者であり歌舞伎役者だった坂東彌十郎さんは、「歌舞伎役者になりたい」という強い思いから、同じ道を歩み始めました。
これからも歌舞伎の世界を多くの人に親しんでもらえるように、歌舞伎の魅力を伝え続けていってほしいと思います。