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野口五郎の実家は喫茶店?生い立ちや父親と母親・兄弟など家族構成も

noguchigoro_family 歌手

野口五郎さんといえば、1970年代を代表する人気歌手であり、現在も幅広い活躍を続けています。

そんな野口さんのルーツや家族構成について気になったことはありませんか?

実家が喫茶店だったという噂や、幼少期に経験したエピソードなど、生い立ちにはどんなストーリーがあるのでしょう。

また、父親や母親、兄弟の存在が彼の人生や音楽活動にどのような影響を与えたのかも興味深いポイントです。

特に家族との絆やエピソードには、多くの人が共感できる温かさがあるかもしれません。

この記事では、野口五郎さんの実家や家族構成に関する情報を詳しく調査。

幼少期の環境や、家族がどのように支えてきたのかなどを掘り下げていきます。

知られざる一面を知ることで、彼の魅力がさらに深まるかもしれません。

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野口五郎の実家は喫茶店?

野口五郎さんは、岐阜県美濃市出身です。

実家では喫茶店「再会」を経営していました。

この「再会」という店名は、野口五郎さんの主演映画『再会』にちなんで名付けられました。

しかし現在お店は営業していません。

野口五郎の生い立ち

1956年2月23日に誕生した野口五郎さんは、歌が好きな両親の元で育ちました。

1966年10月にフジテレビの『日清ちびっこのどじまん』に出演し優勝、さらに中部日本放送の『どんぐり音楽会』に出演し1位を獲得、『ちびっこのどじまん』をきっかけに本格的に歌手を目指すことを決意したそうです。

そして美空ひばりさんの「リンゴ追分」の作曲者・米山正夫さんの門下生になるべく、約2年間米山正夫さんが係わるオーディションに何度も出場、中学2年生の時に声が掛かり、プロを目指すため上京しました。

1971年5月1日に演歌歌手としてシングル曲「博多みれん」でデビュー、ポップス歌手転向後に「甘い生活」、「私鉄沿線」などをヒットさせました。

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野口五郎の父親

野口五郎さんのお父さんは、佐藤進さんと言います。

お父さんはアマチュア楽団「青空楽団」の歌手でした。

長年公務員として働き、退職後に喫茶店を開業しました。

野口五郎さんがトップアイドルとして注目を集めるようになると実家に多くのファンが来るようになったそうで、実家に通ったファンの中にはお父さんと一緒にご飯を食べたという方もいました。

お父さんは胃がんのため天国へと旅立ちましたが、お墓には、お世話になったファンからの花が絶えないのだそうです。

野口五郎の母親

野口五郎さんのお母さんは、佐藤伊代子さんと言います。

お母さんもアマチュア楽団「青空楽団」の歌手で、お父さんとはこの楽団を通じて知り合い、結婚しました。

結婚後は美容師として働いていたそうです。

野口五郎の兄弟や姉妹

野口五郎さんには、7歳年上のお兄さんがいます。

お兄さんの名前は佐藤寛さんと言い、作曲家・編曲家です。

佐藤寛さんは、野口五郎さんの楽曲「愛ふたたび」、「私鉄沿線」、「美しい愛のかけら」、「女友達」、「むさし野詩人」など多くの作曲・編曲を担当しています。

また欧陽菲菲さんの「涙のディスコナイト」、大橋恵里子さんの「女っぽいでしょう」、「大人の気分」、長山洋子さんの「ごめん」などにも携わりました。

まとめ

両親が息子に託した「歌手」という夢を見事叶えた野口五郎さんは、現在も歌い続けています。

空の上にいるお父さん、そしてそばで支えてくれているお母さんやお兄さんの存在を力に、今後も芸能界で活躍し続けてほしいですね。

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