ドラマ『101回目のプロポーズ』、『3年B組金八先生』シリーズなどで主演を務めた武田鉄矢さんは、「海援隊」としても音楽活動を行っています。
そんな武田鉄矢さんの実家はどこにあり、家族はどんな人なのでしょうか。
今回は、武田鉄矢さんの実家や両親、兄弟について調べてみました。
武田鉄矢の実家はタバコ屋
武田鉄矢氏の実家でタバコを買う🚬 pic.twitter.com/kTwMJY30SY
— KEN (@KANTETSUGEN) July 18, 2018
武田鉄矢さんは、福岡県福岡市博多区出身です。
実家は「武田たばこ店」で、お母さんが営業していました。
お母さんが亡くなってからは武田鉄矢さんのお姉さんがお店にいましたが、今は営業していないという情報がありました。
武田鉄矢の生い立ち
https://t.co/aAHO56sOTm 夕刊の名物コーナー「人生は夕方から楽しくなる」。ジバニャンが見守る武田鉄矢さん。読ませるインタビュー記事となっています。 pic.twitter.com/e8LgcD0Trx
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1949年4月11日に誕生した武田鉄矢さんは、特別頭が良いわけでもなく、中学や高校では柔道部で部活に打ち込む普通の少年でした。
福岡教育大学に進学した後、フォークサークル「ヴィレッジボイス」に所属したことがきっかけでフォークソングにハマり、1972年に「海援隊」のボーカル・リーダーとしてCDデビューを果たしています。
デビュー時は話題にならなかったものの、「母に捧げるバラード」をきっかけにブレイクし、俳優としても活動するようになりました。
武田鉄矢の母親はタレントとしてテレビ出演もしていた
「武田イク」も!? pic.twitter.com/n5OeZffeJU
— K.H.(焼飯太郎)@リアル町内会多忙過ぎて何も出来ん (@Yakimeshi_Taroh) October 6, 2021
武田鉄矢さんのお母さんは、武田イクさんと言います。
お母さんは小国町内有数の大地主の孫として誕生したものの、祖父の死去と世界恐慌の影響で生活が困窮した末に両親が離婚し、8歳のときに父親により親族の家へ養子に出されました。
その後17歳で結婚し、進駐軍兵士のハウスメイド、タバコ屋、クリーニングの取次ぎなどのかたわら、二男三女を育て上げました。
武田鉄矢さんがブレイクしたことでお母さんにも注目が集まり、本業のタバコ屋を続けながら子育てなどをテーマにした講演などを年100回以上こなし、ローカルタレントとしてCM出演なども行っていました。
お母さんは、1998年10月19日に78歳で亡くなっています。
武田鉄矢の父親
武田鉄矢さんのお父さんは、武田嘉元さんと言います。
お父さんは旋盤工の職人で、天涯孤独となっていたお母さんの家に婿養子に入る形で結婚しました。
お父さんは、末期がんを患い1983年に亡くなりました。
武田鉄矢の兄弟や姉妹
武田鉄矢さんには、お兄さんが1人とお姉さんが3人います。
長男は義武さん、長女はミヤさん、次女はアサ子さん、三女はスミヨさんと言います。
お兄さんとは12歳も年が離れていたため、武田鉄矢さんにとっては「他人」のような存在で、「“そうですか”とか“よかったです”とか常に尊敬語を使っていた。一緒に遊んだという思い出はひとつもありません」と明かしています。
そんなお兄さんは早稲田大学卒業後、地元の広告代理店に就職したものの、武田鉄矢さんが芸能界でブレイクしたことをきっかけに兄弟の立場が逆転、弟に負けまいとお兄さんは会社を辞めて独立しました。
しかし事業はことごとく失敗、多額の借金を抱えてしまい、武田鉄矢さんの名前を勝手に保証人にしてお金を借りたり、実家を勝手に借金の担保にしたりと武田家に多数のトラブルを巻き起こしたそうです。
その後お兄さんはお母さんのマネジャー代わりとなって生計を立てたものの、お母さんが亡くなってからは身内と遺産問題で揉め、武田鉄矢さんとは疎遠になっていました。
2005年冬、お姉さんから「一度でいいから、最後くらい仲のいい兄弟でいてください」との連絡が武田鉄矢さんの元に入り、武田鉄矢さんはお兄さんが末期がんを患ったことを知りました。
武田鉄矢さんはすぐにお兄さんの元に向かったそうで、その2か月後にお兄さんは亡くなっています。
まとめ
一般家庭で育った武田鉄矢さんですが、自身のブレイクで家族の人生も大きく変わりました。
旅立った両親、そしてお兄さんの支えを力に、これからも芸能界で頑張ってほしいですね。