八王子を拠点とする芸能人たちの“まとめ役”としても知られるヒロミさん。
バラエティ番組などで見せる明るいキャラクターの裏には、どんな家庭環境や学生時代があったのでしょうか。
実家は地元・八王子で工務店を営んでいたそうですが、そこで育ったヒロミさんは、どのような両親や兄弟と過ごし、どんな学校生活を送ってきたのか気になりますよね。
若い頃にはやんちゃな一面もあったと語られており、その生い立ちが現在の芸風や仕事観にも影響しているのかもしれません。
この記事では、ヒロミさんの実家の工務店やお父さん・お母さんの人物像、兄弟の情報に加えて、出身小学校から大学までの学歴についても詳しく掘り下げています。
プロフィールの背景を知ることで、テレビでは見えないヒロミさんの素顔がぐっと身近に感じられるかもしれません。
ヒロミの実家は八王子の工務店でどこにある?
ヒロミさんの実家は、東京都八王子市にある「有限会社小園工務店」です。
地元では比較的知られた存在で、建築や大工仕事を請け負う工務店として長年にわたって営業しており、ヒロミさんがメディアで何度か言及してきたことでも注目を集めています。
特に、自宅のすぐ隣が作業場になっているというエピソードは印象的で、幼少期のヒロミさんは、その作業場で木材を切ったり、大工道具に触れたりと、職人の世界に身近な環境で育っていたそうです。
とはいえ、ご本人は当初から「家業を継ぐ」という発想はなかったようで、若い頃から芸能の世界に強い興味を持ち、進路も早い段階でそちらに舵を切っていました。
実家での作業を手伝うことはあっても、あくまで“親孝行の一環”というスタンスだったようで、「仕事にするのは無理だな」と当時から感じていたことを、過去のトーク番組などで語っています。
また、工務店の詳細な住所や事業内容については、公式に公表されている情報が少なく、インターネット上でも正確な所在地までは確認できないケースが多いようです。
過去には「八王子のどこにあるのか」といった話題がSNSなどで取り上げられたこともありますが、プライバシー保護の観点からも、所在地については控えられているのかもしれません。
一方で、ヒロミさん自身がDIYやリフォームに関する知識や技術を披露するようになった背景には、やはりこうした幼少期の体験が大きく影響していると見られます。
テレビ番組『有吉ゼミ』などで見せる巧みな工具の扱いや、実際にリフォームを仕上げる姿には「やっぱり職人の血が流れてる」と感じる視聴者も多く、本人も「手を動かすのは好き」とたびたび語っていることから、実家で育んだ感覚が今なお活きていることがうかがえます。
工務店の経営は現在も続いているとされており、地域に根差した事業として安定的に運営されているようです。
ヒロミさんの芸能活動とは異なる世界ではありますが、ものづくりの精神や仕事への姿勢といった共通点が、親子をつないでいるようにも感じられます。
ヒロミの生い立ち
今年の24時間テレビのチャリティーマラソンランナーがなんと❗️我らがヒロミさんでした‼️明日、とにかく無事にゴールすることを祈ってます🙏#ヒロミ #24時間テレビ #マラソン #ランナー #八王子 #松本伊代 #日本テレビ #八王子会 #当日発表 #両国国技館 pic.twitter.com/1lXES498or
— ヒロミの八王子会SP【公式】🌟究極の地元愛番組 #BS日テレ (@hachiojikai_SP) August 26, 2023
1965年2月13日に東京都八王子市で生まれたヒロミさんは、幼い頃は照れ屋で物静かな性格だったそうです。
家庭は地元の工務店を営む職人一家で、子どものころから現場の雰囲気に触れながら育ちました。
そんな環境とは対照的に、学生時代には地元・八王子を拠点とする暴走族「八王子スペクター」のメンバーとして活動していた時期もあり、当時はやんちゃな一面も見せていたようです。
18歳の頃、大きな転機が訪れます。
友人を乗せて運転していた車で重大な事故を起こし、自身も内臓破裂を伴う重傷を負い、一時は医師から「助かる見込みは低い」とまで家族に告げられるほどの重体に陥りました。
結果的に脾臓を摘出する大がかりな手術を経て奇跡的に一命をとりとめたものの、長期にわたる入院生活を余儀なくされます。
この出来事は、本人の価値観を大きく変えるきっかけとなりました。
入院中、テレビでバラエティ番組を観たことが転機になったと、ヒロミさんは後年語っています。
生きるか死ぬかの体験をした直後だったこともあり、「どうせなら好きなことをして生きたい」という思いが強まり、お笑い芸人の道を本気で志すようになったそうです。
このとき、お母さんから「あなたは長く生きられないかもしれないんだから、やりたいことをやりなさい」と背中を押されたという言葉が、本人にとって大きな支えになったとも語られています。
その後、芸能界デビューに向けて一歩ずつ動き出し、1986年にはデビット伊東さん、ミスターちんさんとともに「B21スペシャル」を結成。
破天荒なキャラクターと勢いのある芸風で人気を博し、テレビ界の第一線へと躍り出ました。
八王子での地道な幼少期と壮絶な体験を経て、お笑いという人生を選び取ったヒロミさんの生い立ちは、まさに“人生を賭けた転身”と言えるものだったのかもしれません。
なお、当時の入院や手術についての詳細は、本人が出演したトーク番組や自著『ヒロミの自己流』などでも触れられています。
ヒロミの父親
ヒロミさんのお父さんは、鹿児島県垂水市の出身で、大工として家業の「小園工務店」を支えていた職人気質の方です。
テレビなどに登場することはありませんが、ヒロミさんがバラエティ番組などで語るエピソードから、厳しくも温かい家庭的な人物像がうかがえます。
ヒロミさんが子どもの頃から、家の隣にある作業場で木材を切ったり、道具を扱ったりする環境にあったのも、お父さんの影響が大きかったようです。
手を動かすことの楽しさや、ものづくりの姿勢は、この時期に自然と身についたものかもしれません。
また興味深い逸話として、お笑いコンビ・ダウンタウンの浜田雅功さんのお父さんと同級生だったことが後年判明しています。
本人たちは芸能界入り後にそれを知ったそうで、「まさか自分の息子たちが同じ業界で共演するようになるとは思っていなかった」と、同窓会の場で驚いたという話が紹介されたこともありました。
こうした偶然のつながりは、芸能界の意外な一面を感じさせます。
なお、ヒロミさんが芸能界で成功を収めるまでには、さまざまな紆余曲折があったものの、根底には「手に職をつけて生きていく」という実直な姿勢が常にありました。
その基盤を作ったのは、間違いなく幼少期に接してきたお父さんの背中だったのでしょう。
ヒロミさんが現在もDIYやリフォームを手がけるほどの技術とセンスを持っているのも、そうした家庭環境の影響が色濃く反映されていると言えそうです。
ヒロミの母親
ヒロミさんのお母さんは、一般の方ということもあり、名前や顔写真、詳しいプロフィールなどの情報は公にはされていません。
ただし、過去のインタビューやトーク番組の中でヒロミさんが語った内容から、家族の中でとても大きな存在だったことがうかがえます。
とくに18歳のときの大事故で生死をさまよった際には、医師から「助かる見込みは低い」と告げられる中で付き添い続け、「好きなことをして生きなさい」と声をかけてくれたのがお母さんだったと明かされています。
この一言が、後のお笑い芸人としての道を本気で歩む大きなきっかけになったとも語られており、命の危機を経てなお、前向きに生きることを後押ししてくれた存在だったことがよく伝わってきます。
また、工務店を営む家庭のなかで、家族を支えながら子育てにも力を尽くしていたようで、厳しさと優しさの両方を持ち合わせた“昭和の母”といったイメージにも近い人物像が想像されます。
ヒロミさんが持つどこか職人気質で筋の通った考え方や、周囲への気遣いの細やかさには、幼い頃からの家庭環境が色濃く反映されているように感じられます。
なお、芸能活動が軌道に乗った後も、家族のことを軽々しく語らないスタンスを貫いてきた点からも、身内のプライバシーを守る意識が強いことがわかります。そのため、お母さんに関する情報はごく限られたものにとどまりますが、本人の言葉や態度から察するに、深い尊敬と感謝の念を常に抱いてきたことは間違いなさそうです。
ヒロミの兄弟や姉妹
ヒロミさんには兄と妹がいて、3人きょうだいの真ん中として育ちました。
いずれも一般人のため、名前や顔写真などの詳細な情報は公表されていませんが、家族のなかでは個性豊かな存在だったようです。
とくにお兄さんについては、ヒロミさん自身がテレビで「兄貴も元ヤンだった」と語ったことがあり、学生時代はなかなかやんちゃだった様子がうかがえます。
ただ、そうした背景があるからこそ、兄弟の間には独特の結束感や理解が育まれていたのかもしれません。
一方、妹は芸能関係者ではありませんが、地元・八王子市の中学校でアンジャッシュの児嶋一哉さんと同級生だったことがあるそうで、バラエティ番組内で児嶋さんがそのことに触れたこともあります。
当時はお互いに芸能界入りするとは思っていなかったとのことで、のちに番組で再会した際には少し驚いた様子も見られました。
こうした偶然の接点も、芸能界と地元の距離感を感じさせる興味深いエピソードです。
なお、きょうだい関係に関する情報はあまり多く語られていませんが、ヒロミさんのバラエティで見せる面倒見の良さや、家族を大事にするスタンスには、きょうだいとの関係性や家庭環境が深く影響しているように思えます。
仕事では強気な発言が多い印象があるものの、家族の話題になるとどこか柔らかくなるのも印象的で、きょうだいの存在が今でも心の支えになっていることが伝わってきます。
ヒロミの学歴
ヒロミさんは東京都八王子市で育ち、地元の公立校を中心に学生時代を過ごしました。
やんちゃな一面もありながら、のちの芸能活動にもつながる豊かな個性を育んだ学歴の歩みをご紹介します。
ヒロミの出身小学校
ヒロミさんは、八王子市立元八王子小学校に進学しました。
小学生時代はやや内気でおとなしい性格だったようで、「ナヨナヨしている」という理由から、当時のあだ名は「こんにゃく」だったそうです。
やがてその呼び名が変化し、「こーやん」と呼ばれるようになったというエピソードも語られています。
こうしたニックネームの背景には、親しみやすくも少し不器用な一面が垣間見える子ども時代のヒロミさんが想像できます。
ヒロミの出身中学
小学校卒業後は、八王子市立元八王子中学校に進学しました。
中学に入ると、性格は一転してやんちゃな方向へ傾いていきます。
地元ではかなり目立つ存在だったようで、本人も当時の仲間との交流を今なお大切にしており、年末には忘年会を開いて親交を深めているそうです。
この時期の人間関係は、芸能界での活動にも通じる“仲間を大事にする”スタンスにつながっているのかもしれません。
ヒロミの出身高校
中学校卒業後は、昭和第一工業高等学校(現・昭和第一学園高等学校)に進学しました。
ヒロミさんは機械科に所属しており、現在の学校偏差値は41前後とされています。
当時は勉強よりもバイクに夢中で、地元の暴走族「八王子スペクター」のメンバーとして活動していたことが、後にバラエティ番組などでも語られています。
荒れた高校生活ではあったものの、のちに訪れる人生の転機や、お笑いの世界へ飛び込む原動力にもつながっていったようです。
ヒロミの出身大学
高校卒業後は日産自動車の販売会社に就職し、その後放送大学の教養学部教養学科へ進学しました。
放送大学は通信制で偏差値は存在しませんが、学び直しの場として選ばれるケースも多く、本人の知的好奇心や視野を広げたいという思いがうかがえます。
なお、入学時期や卒業の有無については公式には明かされておらず、詳細は不明です。
まとめ
学生時代は暴走族に所属するほどやんちゃだったヒロミさんですが、18歳のときに経験した大事故が大きな転機となり、「好きなことをして生きる」という覚悟を固めたことが、芸能界入りの原点だったようです。
地元・八王子で工務店を営む家庭に育ち、お父さんの職人魂やお母さんの温かな言葉、そして兄弟とのつながりが、現在の芯のあるキャラクターを形づくっているのかもしれません。
放送大学で学んだ経験も含め、常に自分の可能性を広げようとする姿勢は、若い頃のやんちゃな一面とはまた違った魅力として多くの人に支持されています。
家庭や学歴の背景を知ることで、テレビで見せる姿にもより深みを感じられたという方も多いのではないでしょうか。
これからも多方面で活躍し続けるヒロミさんの歩みに注目していきたいですね。
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