女優、歌手として活動した中村メイコさんは、かつて都内の豪邸に住んでいました。
しかし80歳を過ぎてから旦那さんと共にマンションに引っ越し生活していたそうです。
今回は、中村メイコさんの自宅や豪邸、旦那さんについて調べてみました。
中村メイコの自宅
中村メイコ:“終活”で唯一捨てられなかったものは親友・美空ひばりさんの遺品 明日の「徹子の部屋」 pic.twitter.com/Z2yobaIPL4
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中村メイコさんは、生前3LDKのマンションに住んでいました。
詳しい場所は公表されていませんが、娘さんたちの住まいに近いそうで、都内のどこかだと思われます。
引っ越し前は大きな家に住んでいた中村メイコさんですが、マンション暮らしになったことで「移動が楽になった」と話していました。
中村メイコのかつての自宅は豪邸だった
中村メイコさんは23歳の時に作曲家の神津善行さんと結婚し、子供3人との5人家族で何軒かの借家暮らしをしたのち、都内の高級住宅地にマイホームを建築しました。
敷地300坪、地下1階、地上2階建てという大豪邸で、体育館並みだったそうです。
インタビューでは「お手伝いさんがいないときにピンポンが鳴ったら階段を上り下りして重い玄関の扉を開けて、そこからガレージを通り抜けて荷物を取りに行く。それがすごく大変」と明かしていました。
中村メイコが豪邸を手放したのは夫の言葉がキッカケ
中村メイコの終活 大豪邸を手放すきっかけとなった夫の言葉| マネーポストWEB https://t.co/6Z4uayFWLS
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中村メイコさんは、80歳の頃に豪邸を手放しマンション暮らしを始めました。
きっかけは神津善行さんの「君はなんでもたくさん持っている。それをそろそろやめないか?生活を縮小しよう」という言葉でした。
元々中村メイコさんは大の買い物好きで、「東京のイメルダ夫人」と呼ばれていたため、大きな家にあった様々なものを断捨離、家も手放し引っ越しの際に処分した靴や衣類はトラック7台分もあったそうです。
中村メイコの旦那は神津善行
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中村メイコさんの旦那さんは、作曲家の神津善行さんです。
神津善行さんは、国立音楽大学器楽科を卒業し作曲家としての活動をスタートしました。
テレビ朝日のスポーツ番組のオープニングテーマに使用される行進曲『朝日に栄光あれ』、1969年から1984年までオープニングテーマに使用されたNET『日曜洋画劇場』テーマ、日本工学院専門学校の校歌など、これまでに約300曲を作曲しています。
1992年には民族音楽の復興のため、琵琶など日中伝統楽器を使った女性11名のグループ「六華仙」を結成しました。
また『輝いて生きるー変わる時代の中で : 自分のライフスタイルの探し方』、『植物と話がしたい : 自然と音の不思議な世界』、『蕎麦処山下庵 : 山下洋輔と三十人の蕎麦者たち』などの本も出版しています。
中村メイコと旦那の馴れ初め
神津善行・中村メイコご夫妻とともに(昭和63年)
— さとみ (@SATOMI328) January 8, 2024
NHKホールのミラノ・スカラ座公演に向かう、ご自宅の玄関にて撮影。#美空ひばり #中村メイコ #神津善行 pic.twitter.com/dp7ak6Oly5
中村メイコさんと神津善行さんの出会いは、神津善行さんの編曲した楽曲を中村メイコさんが歌うことになったことがきっかけでした。
神津善行さんは当時、音楽大学に通いながら作詞家の三木鶏郎さんのスタジオで作曲や編曲のアルバイトをしており、そっけない態度をしていたものの、中村メイコさんは初めから「ちょっといい男だな」と思っていたそうです。
その後お付き合い前だったにもかかわらず、睡眠不足でノイローゼになり自殺未遂をした中村メイコさんがメモに書かれていた電話番号に電話をしたら神津善行さんが飛んできてくれたそうで、3年ほどのお付き合いを経て1957年に結婚しました。
まとめ
若い頃は芸能人らしい豪邸に住んでいた中村メイコさんでしたが、最後はマンションで神津善行さんとの時間を大切に過ごしていました。
ずっと芸能界で走り続けてきたので、これからは空の上で神津善行さんのことを見守りながら、ゆっくりと休んでほしいと思います。