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池波志乃と池波正太郎の関係は?祖父や父親と母親兄弟など家系がすごい

ikenamishino_family 女優

女優、タレント、エッセイストとマルチに活動している池波志乃さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。

両親や兄弟はどんな人で、作家の池波正太郎さんとはどんな関係なのでしょうか。

今回は、池波志乃さんの家族について調べてみました。

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池波志乃と池波正太郎の関係

ネット上では「池波志乃さんのお父さんは作家の池波正太郎さんではないか?」という声が挙がっています。

しかし二人に血縁関係はありません。

共に活動名は「池波」ですが、池波正太郎さんは本名、池波志乃さんは旧姓が「美濃部」です。

池波志乃の家系がすごい!

池波志乃さんは、落語家一家の家庭で生まれ育ちました。

祖父、父親、叔父、そして甥が落語家です。

池波志乃の祖父は5代目古今亭志ん生

池波志乃さんの祖父は、落語家の5代目古今亭志ん生さんです。

5代目古今亭志ん生さんは、1910年に二代目三遊亭小圓朝さんに入門し「朝太」の芸名でプロの落語家として活動、1916年に二ツ目に昇進、1939年3月に「五代目古今亭志ん生」を襲名しました。

1956年に文部大臣賞(現・芸術祭賞)、1964年に紫綬褒章、1967年に勲四等瑞宝章を受章しました。

1957年には落語協会の会長に就任、1973年9月21日に亡くなっています。

池波志乃の父親は10代目金原亭馬生

池波志乃さんのお父さんは、落語家の10代目金原亭馬生さんです。

10代目金原亭馬生さんは、1943年に父・5代目古今亭志ん生さんに入門し、入門当日から高座に上がりました。

1948年には古今亭志ん橋(代数不詳だが5代目と称した)と改名して真打昇進、1949年10月に10代目金原亭馬生を襲名しました。

1966年からは第57回東横落語会に出演し、1969年の第19回芸術選奨において新人賞を、1973年に第248回三越落語会において口演した『明烏』で文化庁芸術祭優秀賞を受賞しました。

1982年9月13日に亡くなっています。

池波志乃の叔父は3代目古今亭志ん朝

池波志乃さんの叔父は、落語家の3代目古今亭志ん朝さんです。

3代目古今亭志ん朝さんは、1957年2月に父・五代目古今亭志ん生さんに入門、1959年3月に二ツ目昇進、1962年5月に五代目春風亭柳朝さんと共に36人抜きで真打昇進を果たし、三代目古今亭志ん朝を襲名しました。

映画『歌う明星・青春がいっぱい』や『サンデー志ん朝』にも出演し、1996年に落語協会副会長に就任、2001年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、同年10月1日に亡くなっています。

池波志乃の実家

池波志乃さんは、東京都荒川区出身出身です。

元々5代目古今亭志ん生さんと10代目金原亭馬生さんは親子で同じ家に住んでいたものの、池波志乃さんの誕生に合わせて同じ大家さんの借地に1軒おいて家を借りたそうです。

池波志乃の母親

池波志乃さんのお母さんは、美濃部治子さんと言います。

お母さんは一般人で、2006年11月25日に亡くなりました。

池波志乃の兄弟や姉妹

池波志乃さんは、3きょうだいの長女です。

妹さんがいること以外はわかりませんでした。

ネット上では「弟さん1人、妹さん1人」説、「妹さんが2人」説がありました。

甥(妹の息子)は金原亭小駒

池波志乃さんの甥っ子は、落語家の金原亭小駒さんです。

金原亭小駒さんは、2013年9月に十一代目金原亭馬生さんに入門、2018年11月に二ツ目昇進を果たしました。

落語協会二ツ目の勉強会「チャノマ」メンバーで、2022年からは自身と同じ世襲落語家である林家たま平さんらと共に二ツ目の世襲落語家の落語会である「若旦那の会」の公演を行っています。

まとめ

落語家家庭で生まれ育った池波志乃さんは、お父さんから「家族は職場でうろうろするな」と言われていたため、高座を聞きに行ったことはないそうです。

お父さんとジャンルは異なりますが、女優という世界で池波志乃さんらしく今後も活躍し続けてほしいですね。

夫の中尾彬さんについてはこちら
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