東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任予定の川淵三郎さんは、元サッカー選手です。
サッカーだけではなくバスケットボールにも関わっている川淵三郎さんとはどんな人なのでしょうか。
今回は、川淵三郎さんの経歴や出身学校について調べてみました。
川淵三郎の経歴はサッカーやバスケだけじゃない!
川淵三郎さんの経歴について調べてみました。
サッカーJリーグの初代チェアマンとして活躍
1991年に社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立されると、川淵三郎さんは初代チェアマンに就任されました。
2002年にチェアマン退任すると、日本サッカー協会会長(キャプテン)に就任、その後も名誉会長、最高顧問を経て、2018年より相談役に就任しています。
バスケBリーグのチェアマンとしても活躍!
2015年1月には、国際バスケットボール連盟主導で設立された日本バスケットボール協会改革のためのタスクフォース「JAPAN 2024 TASKFORCE」のチェアマンに川淵三郎さんが選ばれました。
同年4月、一般社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ理事長に就任すると、日本バスケットボール協会会長、日本トップリーグ連携機構会長になりました。
2016年6月に日本バスケットボール協会会長を退任し、現在はエグゼクティブアドバイザーになっています。
JOC会長でオリンピックにも貢献?
2019年12月には、東京オリンピック・パラリンピック選手村村長に就任しました。
その後、2021年2月に森喜朗さんの辞任に補う東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任予定であることが報じられています。
川淵三郎のプロフィール
後任会長に #川淵三郎 Jリーグ初代チェアマン🎶#森喜朗 会長より数段良いと思う❗
Jリーグ発足当時から拝見してるから良かったと安堵した🎵
年上だけどね‼️ pic.twitter.com/8qotLjuGOd— しげぞう (@shigezo0727) February 11, 2021
生年月日:1936年12月3日
出身地:大阪府
身長:172cm
高校からサッカーを始めた川淵三郎さんは、大学時代に日本代表に初選出され活躍しました。
大学卒業後は古河電気工業に入社し、同社のサッカー部でプレー、1964年には日本代表として東京オリンピック出場し、対アルゼンチン戦でゴールを挙げ話題になりました。
1970年に現役引退を引退すると、古河電気工業サッカー部コーチに就任、1972年には古河電気工業サッカー部監督になり、その後も日本サッカーリーグ常任運営委員や日本サッカーミュージアム館長を務めています。
2008年には日本のサッカーの発展に尽力したとして日本サッカー殿堂入りを果たしました。
さらに東京都教育委員、公立大学法人首都大学東京理事長、一般社団法人大学スポーツ協会顧問など多方面で活動しており、2009年に秋の叙勲で旭日重光章を受章しています。
川淵三郎の学歴
川淵三郎さんが通っていた学校について調べてみました。
川淵三郎の出身高校
川淵三郎さんは、大阪府立三国丘高等学校出身です。
友人に「四国の高松で夏にサッカーの大会がある。今サッカー部に入れば四国に行けるぞ」と言われ、サッカー部に入ったものの、当時のサッカーは人気が低くく、日頃練習に参加する部員が10人程でした。
そのため試合では、辞めた部員やサッカーが得意な人を連れて来たりするといったこともあったそうですよ。
退部する為に、先輩に「扁桃線が弱いので医者から過激なスポーツは禁止されてます」と言いに行くも「辞めんといてくれ」と懇願され、部活を続けていると、次第にサッカーが面白くなり始めました。
すると3年生の時に全国高校サッカー選手権でベスト8になり、新聞で「超高校級FW」と書かれるまでに成長したのです。
元々運動神経が良かったため、ハンドボール部に勧誘されたこともあったそうですよ。
川淵三郎の出身大学
高校卒業後は、2浪を経て早稲田大学第二商学部商学科に入学しました。
浪人時代は、サッカーが好きすぎて予備校に行かず、高校に行き毎日後輩とサッカーをしてたそうですよ。
元々大阪大学を目指してた川淵三郎さんですが、大阪サッカークラブの設立者で日本代表の川本泰三さんから「早稲田大学にぜひ推薦したい」と言われ、志望校を変更しました。
2年生の時には日本代表に初選出され、大学4年間で関東大学リーグに3回優勝しています。
まとめ
高校からサッカーを始めた川淵三郎さんは、プロの選手として活躍しました。
引退後もサッカーやバスケットボールなどスポーツに関わっています。
今後も日本のスポーツを盛り上げていってほしいですね。