長年に渡り、ドラマ・映画・舞台で活躍する俳優『鹿賀丈史』さん。
年齢を重ねた現在でも、憎たらしい悪役をこなす姿も渋くてかっこいいですよね。
そんな鹿賀丈史さんが実は、若い頃に劇団四季に在籍してたらしいんです。
そこで今回、鹿賀丈史さんの昔のかっこいい画像から出身大学まで、調査してみたのでご覧下さい。
鹿賀丈史は若い頃劇団四季だった!
鹿賀丈史さんは、ドラマや映画、舞台と幅広いジャンルで活躍し、その確かな演技力と存在感で多くのファンを魅了し続けてきました。
意外と知られていませんが、鹿賀丈史さんは「劇団四季」出身の俳優です。
1972年にオーディションに合格し、翌年には『ジーザス・クライスト=スーパースター』で主役に抜擢されるという異例のスピードで注目を集めました。
1980年に退団するまで、劇団四季の看板俳優として数々の名舞台に立ち続け、今のキャリアの土台を築いています。
鹿賀丈史さんの芸名は、劇団四季創設者である浅利慶太さんが名付けたものです。
「鹿のように俊敏で澄んだ目を持ち、出身地の金沢市”加賀”から一文字を取った」といわれており、浅利さんの鹿賀丈史さんへの期待と愛情が込められています。
こうした背景からも、鹿賀丈史さんが劇団四季でどれほど大切な存在だったかが伝わってきます。
舞台だけでなく、テレビドラマや映画でも幅広く活躍する現在の姿は、若い頃の劇団四季での経験があったからこそだといえるでしょう。
市村正親と同期だった!
『ジーザス・クライスト=スーパースター』の舞台には、もう一人の逸材・市村正親さんも出演していました。
市村正親さんも1973年のオーディションに合格し、端役で舞台に立つことから俳優人生をスタートさせています。
当時、主役を務めていた鹿賀丈史さんとは同期であり、互いに刺激し合う存在でした。
市村正親さんは若い頃、主役を務める鹿賀丈史さんに対して羨望や嫉妬の気持ちを抱くこともあったそうです。
劇団四季の浅利慶太さんから「鹿賀がステーキなら、市村は横に添えられるクレソン」と例えられたエピソードは今も語り草です。
市村正親さん自身も、その言葉に悔しさや葛藤を感じていたと語っています。
ただ、浅利さんは「人それぞれにサイクルがあり、他人と比べる必要はない」とも助言しており、主役を張るタイミングは俳優ごとに異なるという深いメッセージを残しました。
鹿賀丈史さんもまた、市村正親さんの俳優としての資質や努力を高く評価し、「クレソンでも大地に根を張ったステーキより強いクレソン」と語ったことが伝えられています。
二人は劇団四季時代から切磋琢磨し合い、時にはライバルとして、時には信頼し合う友人として、何十年にもわたり舞台芸術の第一線で活躍し続けてきました。
SNS上でも「この2人の関係性が素敵」「劇団四季時代のエピソードに勇気づけられる」といった声が多く見られます。
鹿賀丈史さんと市村正親さんのように、若い頃の経験や仲間との絆が、その後の長い俳優人生に豊かな彩りを与えていることは、多くの舞台ファンにとっても大きな励みとなっています。
鹿賀丈史は若い頃も現在もカッコいい!
鹿賀丈史さんは70代に入り、白髪姿も素敵で温厚な紳士という雰囲気がありますね。
しかし若い頃は、日本人離れした顔に鋭い眼光で”カッコイイ”という言葉がピッタリ!
いくつか、若い頃の鹿賀丈史さんの画像を集めてみました。
ロン毛やアフロヘアも似合ってて、どの時代の姿もカッコイイですね。
若い頃からスタイルが変わらず、モデルのような体型を維持されてるのが凄いと思います。
鹿賀丈史のプロフィールや経歴
名前:鹿賀 丈史(かが たけし)
本名:勝田 薫且(かつた しげかつ)
生年月日:1950年10月12日
出身地:石川県金沢市
身長:180㎝
血液型:O型
所属事務所:ホリプロ
鹿賀丈史さんの両親は、父親が洋服の仕立て屋で、母親は北陸一のゴム風船屋。
裕福な家庭に育ったそうで、9歳から中学2年まで少年合唱団に所属されてました。
高校では合唱部のテノール歌手や指揮者を担当し、全国大会に出場もされてます。
幼い頃から音楽に触れ、将来はクラシックの声楽家を目指してたそうです。
しかし、上京してから友人の勧めで劇団四季のオーディションを受けることに。
そこで見事合格し、声楽家から俳優の道へと進むことになりました。
友人の誘いがなかったら、今の鹿賀丈史さんは存在しなかったかもしれませんね。
1972年に劇団四季へ入団してから退団後も、ずっと第一線で活躍されてるのが凄いです!
そして鹿賀丈史さんといえば、バラエティ番組『料理の鉄人』の進行役もインパクト絶大でした。
番組を観てた方は、パプリカをかぶりつく姿が印象に残ってるのではないでしょうか。
強烈なキャラと司会進行もこなすマルチな才能で、老若男女問わず知名度が上がりました。
ちなみに当時、プライベートも演じてたキャラと混同されて困惑されたそうですよ。
鹿賀丈史の学歴
『金沢市立野田中学校』へ通ってた鹿賀丈史さんは、ブラスバンド部に所属。
この頃は意外にも背が低く、小柄な体型だったそうです。
そして通った高校は、地元では古くから知られる進学校でした。
鹿賀丈史の出身高校
進学したのは『石川県立金沢二水高等学校』で、歴史ある進学校です。
所属してた合唱部は全国大会の常連校で、3年の時には部長を務められました。
卒業生には、元・内閣総理大臣『森喜朗』さんがおられます。
鹿賀丈史の出身大学
高校卒業後、クラシックの声楽家を目指し『東京音楽大学』などを浪人。
しかし、浪人中に友人と一緒にオーディションを受け、劇団四季に入団したので大学へ進学されませんでした。
声楽家としての鹿賀丈史さんの姿も、見てみたかったですね。
まとめ
鹿賀丈史さんについて、若い頃の劇団四季時代から現在に至るまでの歩みや、年齢・出身大学といったプロフィールまで幅広くご紹介しました。
長年にわたり第一線で活躍し続ける鹿賀丈史さんは、その確かな演技力と存在感だけでなく、年齢を重ねても変わらないかっこよさや人柄の良さでも多くの方に親しまれています。
劇団四季で培った経験や同期との絆が、今もなお輝きを放っていることに、改めて感動された方も多いのではないでしょうか。
この記事を通じて、鹿賀丈史さんの魅力や背景について少しでも理解が深まり、ますます応援したい気持ちになった方がいらっしゃれば嬉しいです。
もしご興味があれば、関連記事もぜひご覧いただき、気になった内容はシェアしていただけると幸いです。
今後も鹿賀丈史さんのご活躍から目が離せませんね。





