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中川家剛は鉄道好き?病気(パニック障害)から救ったのは明石家さんま?

中川家剛は鉄道好き?病気(パニック障害)から救ったのは明石家さんま? お笑い芸人

お笑い芸人で兄弟コンビ「中川家」の兄の剛さんは、ある病気を見事に乗り越えて、現在芸人活動をされています。

今回は中川家・剛さんの鉄道好き、病気について調べてみました!

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中川家剛は鉄道好き?

「芸人 鉄道好き」と調べると「中川家」とヒットするため、紛らわしいですが、鉄道好きとして有名なのは、弟の礼二さんです。

その礼二さんの鉄道好きの影響で、幼い頃から中川家剛さんは両親から

「お兄ちゃんやから、電車乗るのついて行ってあげなさい」

とよく言われていたそうで、

「ついて行ってあげて、礼二が駅名言うから、それがおうてるかどうか、この本見て、正解やったら正解って言うてあげなさい」

とも言われていたと告白していました。

礼二さんは小学校低学年のころ、ずっと駅名を覚えるのが趣味だったそうで、それをずっと中川剛さんが確認して、ずっとつきあっていたそうです。

剛さんは

「毎土曜日、日曜日とやらされてましたからね。地獄の週末。ずっと見てんねんから。電車。跡ついてんねんから。金網の跡」

と話すと、礼二さんも「見てたねえ」としみじみと話していました。

礼二さんが仕事をするようになるまでは、ずっとその調子だったそうなのですが、仕事を始めてからは落ち着いていったようですね。

今も礼二さんは、ネタで車掌の真似をしたり、ホームのアナウンスや新幹線のトイレの流れ音の真似などを取り入れています。

幼い頃から礼二さんに付き合っていたので、中川家剛さんも鉄道についてある程度詳しいかもしれませんね。

中川家剛の病気はパニック障害

中川家剛さんは、過去に長期の療養で休業した時期がありました。

病気が発症したのは、 1997年の時で「中川家」としての仕事が順調に増えていた頃だったそうです。

そして剛さんを突如襲ったのは、パニック障害でした。

パニック障害は人口の1~3%と言われていますが、決して珍しい病気ではなく、男性に比べて女性の発症率が高く、特に20~40代に多いそうです。

またパニック障害は心因性の疾患といわれ、電車などの閉所で突然呼吸困難に陥ったり、人前に立つと動悸が激しくなったりめまいや過呼吸など体の突発的な異常、「このまま死んでしまうのでは」といった強い不安感に襲われる疾患と言われています。

中学受験を控え、熱心に勉強していた子どもが試験の緊張で過呼吸になってしまったり、サラリーマンが転勤先の土地や人に馴染めずにめまいや不安を引き起こしたりと、発症するきっかけは人それぞれで、多くの人が突如として困難を抱えてしまうことになる病気でもあります。

剛さんは病気に気付いたきっかけとして

「27歳の時、ご飯を食べていて”急に息ができない”と感じた。今考えると、突然仕事が増えたことで、出だしの人間が10歳も20歳も上の先輩に堂々と絡みにいけるわけでもなく、顔色を伺いながら。それとストレスだったんじゃないか」

と話していました。

医師も

「プレッシャーがあって、期待を背負って、ご自身も頑張らないといけないみたいになると、そういったタイミングでパニック発作が起きることはよくある。気を遣う、内向的、几帳面、完璧主義、あるいは強い面と弱い面の両面を持たれているような性格の方がなりやすいと言われている」

と明かしています。

剛さんも、急行や特急に乗ると発作が出たため、各駅停車を何度も乗り降りしながら、それまでは30分で行けた大阪ー京都間を4時間かけて仕事にでかけていたそうです。

人前で日々パフォーマンスをしなくてはならない漫才師にとって、パニック障害はまさに致命的と言っても過言でない病気ですよね。

これまでも「Sexy Zone」の松島聡さん、「King & Prince」の岩橋玄樹さんなど、芸能人がパニック障害と闘っている状態だと報道されていました。

また芸能界で大活躍のおネエキャラとして独自のポジションを築きあげているIKKOさんもその1人で、スタイリストとして独立したばかりの頃、プレッシャーのせいでパニック障害になり、さらにLGBTを隠していたこともあって外出する気もなくなるほど気分がふさぎ込んでしまったと語っています。

このように剛さんのパニック障害は、わりと有名な話ですが、実はそれ以前にも若い頃に膵炎で療養していた時期があったそうなんです。

もともと体質的に、あまり強くないのかもしれませんね。

膵炎は、膵臓の急性炎症で最も多い症状は、上腹部痛ですが、背部まで痛みが広がることもあり、状態が悪化すると、意識障害やショック状態など重症化することもあります。

膵炎の2大原因は、アルコールと胆石だと言われているので、原因と対処法がはっきりしているという点では、パニック障害よりコントロールしやすいかもしれませんね。

剛さんの現在の体調が気になるところではありますが、今のところ症状をうまくコントロールできているようで、体調も良好のようです。

中川家剛をパニック障害から救ったのは明石家さんま?

重度のパニック障害になり、一時は引退も本気で考えたという中川家剛さんですが、長い時間をかけて病気を乗り越え、第一線に復帰することができた裏には、家族や兄の礼二さんはもちろんのことですが、大物芸能人の力添えがあったそうです。

それは、あの吉本の大先輩、明石家さんまさんでした。

1998年にパニック障害が発症し、1年間仕事をできない状態になった中川剛さんは、復帰後、会う人会う人に「大丈夫?」「気分悪くない?」などと心配されたそうですが、1人だけ、さんまだけは違ったと明かしています。

当時仕事が減っていってしまっていた中川剛さんを「明石家マンション物語」のレギュラーとして起用し、「パニックマンや!」などと容赦なくいじり倒していたそうです。

これはきっと、明石家さんまさんなりの愛のムチだったのでしょう。

さらに「もうええやんけ。緊張ってどんな緊張?」と質問し、「手が震えて…」と身振り手振りで説明すると、わざと何度もやらされ、次第にざわついていた周りの人たちが笑っていたそうです。

病気をいじってくる人はなかなかいなかったでしょうし、ちゃんと笑いに変える明石家さんまさんは本当に偉大ですよね。

また剛さんに対して、明石家さんまさんは

「ええやんけ!黙るのが一番アカンから、何でもエエから言え。俺が何とかするから。何とかできへんかったらごめんな」

と言っていたそうで、剛さんは

「明るくとらえてくれるから、『大丈夫?』って言われるよりも…」と話し、

弟の礼二さんが「ええみたい。普通に心配されるよりも」と言葉をつなぎ、

明石家さんまさんに救われたことを明かしていました。

引退を救ってくれた明石家さんまさんに対して、剛さんは、 このように語っています。

「恩返しなんてホンマにおこがましいですけど、1つだけ思ってるのは、さんまさんをイジり倒せたらなと。今は基本的にはさんまさんが周りをイジったり、ツッコんだりしてますけど、僕らくらいの世代がさんまさんをイジり倒すことによって、また違うさんまさんの形が出てきて、70歳になっても、もっと歳をとっても、ずっといてくださるかなと。後輩にイジられるパターンで、また次のさんまさんが始まるというか。もちろん、それをご本人が望まれるかどうかは分かりませんけど、今、僕が考えられる恩返しは、それが精いっぱいです」

剛さんにとって明石家さんまさんはどのような存在なのでしょうね…

2人のトークをこれからもたくさん見たいですね。

中川家剛がパニック障害の時の礼二とのエピソードが泣ける

弟の礼二さんによると、パニック障害と分かる前の剛さんは「仕事に行きたくない」と拒否したり、漫才の途中に、「俺、アカンわ」と言って途中で帰ったり、舞台袖で一緒に出番を待っていたはずなのに、いざ出番となるといなくなっていたり…とさまざまなことがあったそうです。

剛さんは「薬がきつくてフラフラしたり、仕事の時にボーッとなったし、眉毛がポロポロ抜けてきたこともあった」と話し、

当時まだ「パニック障害」という病名の浸透していない時代だったこともあり「気の持ちようだ」と言われたり、「辞めてしまえ」などひどいことも言われていたと明かしていました。

汗をかいたり、手が震えたりすることもあり、ただ事ではないと段々分かってきた弟の礼二さんは、当時、AとBが喋る内容をきっちり台本に起こして、一言も間違えたらいけないというような漫才をやっていたのですが、それを止めることにしたそうです。

弟の礼二さんは、「自分が主に喋るから、それを邪魔したらいいから、とりあえず真面目に考えるな。お前はただ立っていてくれたらいいから」と言ってくれたと明かし、

礼二さんや周囲の人の支えによって、少しずつ症状は落ち着いていき現在にいたるようですね。

このように弟の礼二さんの支えによって、今の「中川家」の現在の活躍があるというようなエピソードが、2006年7月18日に放送された「リンカーン」という番組で「ミッドナイトリンカーン」という企画でオンエアされ注目を集めていました。

この番組はダウンタウンが司会してる、普段はおちゃらけたお笑い番組なんですが、あまりの感動する話から浜田さんが涙目になっていたようです。

内容は、中川家剛さんがパニック症候群になり、レギュラー番組が減ってしまっても弟の礼二さんが一生懸命に兄の剛さんを励ましていくものでした。

剛さんは、パニック障害で、人前に出たりすると、頭痛や吐き気がしたり、電車に一人で乗れないなど、日常生活に支障をきたしていました。

舞台に立とうとしても、舞台のそでから出ることが出来ず、結局弟の礼二さんが一人でものまねなどをやって繋ぐというような状態でした。

そのため、剛さんはレギュラーが全部クビになり、京都でのラジオの仕事だけが残ります。

しかし、その京都へ向かう電車へ一人で乗れない…

弟の礼二さんは兄を迎えに来て、いっしょに電車に乗り、また家まで送ってくるという生活が続きます。

礼二さんが一緒でも電車に乗ってる途中で気分が悪くなり、途中下車…

そういう兄の剛さんのそばで 礼二さんはただ黙って見守ってくれていました。

特急電車は各駅電車になり、それでも満足に仕事へ向かうことが出来かったようです。

みすみす才能がある弟に、負担をかけていると感じた兄の剛さんは「もう辞める」と礼二さんに言いました。

すると、礼二さんは「おまえとじゃないと意味が無い、もう少しがんばろうや」と励まし続けてくれたそうです。

そして最後に「今の中川家の俺があるのは 弟の礼二のおかげ」と明かしていました。

これには、ネットでも「久しぶりに泣いたわ」「これはヤバい」と感動する人が大勢いたようですね。

知られざる兄弟の絆を知ることが出来ましたし、これからの「中川家」の活躍を応援していきたいと思います。

まとめ

今回は中川剛さんの鉄道好きについてや、パニック障害などの病気についてご紹介しました。

中川剛さんはパニック障害で苦しみ、見事に乗り超えた有名芸能人で、同じ病気を患っている方にも勇気を与える存在かもしれませんね。

これからも中川剛さんのペースでたくさんの人を笑わせてくれることでしょう!

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