「なんであんなに面白いんだろう?」
小峠英二さんをテレビで見かけるたび、そんなふうに思う方も多いのではないでしょうか。
強烈なツッコミや鋭いワードセンスで笑いを生み出す一方で、どこか人間味のあるキャラクターが魅力です。
そんな小峠さんの“原点”が気になる…という声も増えているようです。出身高校や大学はどこだったのか、実家はどんな環境だったのか。
お父さんやお母さんとの関係、兄弟の存在など、これまであまり語られてこなかった家族のエピソードも気になるところ。
芸人として確かなキャリアを築いた小峠さんが、どんな青春時代を過ごし、どんな家庭で育ったのか――。
その足跡をたどることで、あのユニークな個性のルーツが少し見えてくるかもしれません。
小峠英二(バイきんぐ)の学歴
バイきんぐのボケ担当として人気を集める小峠英二さんは、福岡県田川郡大任町の出身です。
福岡の地元校で学んだ学生時代は、勉強よりもむしろ個性が光るエピソードの宝庫でした。
学校で特に優等生だったという記録はないものの、地道に通学しながら自分なりの学生生活を送っていたことがうかがえます。
高校卒業後は進学せず、芸人になるという道を選択。18歳で上京し、そこからお笑いの世界に飛び込むことになります。
この選択は、のちにバイきんぐとして成功を掴むきっかけとなりました。
小峠英二(バイきんぐ)の出身小学校
小峠英二さんは地元の「大任町立大任小学校」に通っていました。
幼少期の小峠さんは、映画『ランボー』に熱中する少年で、山にエアガンとナイフを持って“潜入任務”を再現するような冒険ごっこをしていたそうです。
あるインタビューでは、エアガンを空に向かって発射していたことを懐かしげに語っており、その無邪気な姿は今でもファンの笑いを誘っています。
また、夏休みのラジオ体操に皆勤し、全日スタンプを集めたものの、景品がまさかの2色ボールペンだったというエピソードも。
後にこの体験を「人生初の“なんて日だ!”」と語っていたことからも、こうした日常の積み重ねが現在の芸風に活かされていることがよくわかります。
小峠英二(バイきんぐ)の出身中学校
小峠英二さんは、「大任町立大任中学校」に通っていました。
部活動は野球部に所属しましたが、本人いわく「興味はなかった」とのこと。
周囲に合わせて入部したものの、厳しい練習に気持ちがついていかず、ついにはお母さんに「辞めたい」と泣きついた過去もあったそうです。
しかし、お母さんはそれをすんなり受け入れず、結果として3年間続けることに。
その間ずっと補欠で、試合に出場したのは最後の大会で代打に選ばれた1回だけ。ところがその1打席で顔面にボールが直撃し、1塁に向かったあともけん制球が再び顔を直撃するという、漫画のような悲劇に見舞われました。
この経験がトラウマとなり、今でも野球が嫌いだと語っています。
とはいえ、こうした苦い経験も今では笑い話として活かされているあたり、小峠さんらしい人生観がにじみます。
小峠英二(バイきんぐ)の出身高校
小峠英二さんの出身高校は、福岡県立東鷹高等学校です。
高校時代はバンド活動に情熱を注いでおり、「アンダー・ザ・チェーンドッグ」というバンドでライブにも出演していました。
授業よりも音楽活動にのめり込み、バイク通学やアルバイトなど校則違反も目立ち、やがて退学の危機に。
そんな中で進路として「お笑い」を真剣に意識するようになり、大阪NSCの面接を受けるため休学という道を選びます。
担任とお母さんの説得により「不合格なら復学」という条件で挑戦しましたが、面接に落ちてしまい一旦は復学。
しかし、当時の問題行動の積み重ねが影響してか、理由のないまま退学処分となりかけました。
それでも担任の先生が奔走してくれたことで、最終的には無事卒業扱いとなったとのこと。
この一件は小峠さんにとって大きな転機であり、「人生で一番お世話になった先生」として強く記憶に残っているそうです。
小峠英二(バイきんぐ)の出身大学
大学には進学せず、高校卒業後に再びNSCの門を叩きます。かつて一度は不合格になったNSCでしたが、今回は見事に合格。
そこから本格的にお笑いの世界へ足を踏み入れることになります。
多くの同世代が大学生活を送るなか、小峠さんは夢を優先し、自らの力で人生を切り拓く道を選びました。
この大胆な選択は、バイきんぐとしての成功だけでなく、今なお続くテレビ出演やタレント活動にも繋がる重要な起点となっています。
小峠英二(バイきんぐ)の実家
小峠英二さんの実家は、福岡県田川郡大任町にあります。
福岡県の北東部に位置するこの町は、人口約5,000人という小さな自治体で、のどかな田園風景と山々に囲まれた自然豊かな土地柄が特徴です。
小峠さんがこの地で育ったことは、彼の穏やかで飾らない人柄に少なからず影響を与えているように感じられます。
実家は一軒家であることが、過去に出演したテレビ番組『福岡人志、松本×黒瀬アドリブドライブ』(FBS福岡放送)内で明かされており、地元の風景の中に自然に溶け込むような佇まいが映し出されていました。
こうした地元とのつながりを大切にする姿勢は、今でも時折メディアを通じて垣間見ることができます。
大任町といえば、春になると町内に約1,500本もの桜が咲き誇る「おおとう桜街道」が名所として知られ、毎年シーズンになると多くの花見客が訪れます。
小峠さんも幼い頃にこの桜並木を家族と歩いた思い出があるのかもしれません。
町ぐるみで春の訪れを祝う行事も行われ、地元の住民にとって桜は心の風景として深く根付いています。
さらに、大任町はしじみの自生地としても有名で、町では環境保全に力を入れながら地域資源を守っています。
しじみは地元の特産品として、しじみ汁や佃煮などの形で家庭の食卓でも親しまれており、町のマスコットキャラクター「大ちゃん」もこのしじみをモチーフにデザインされています。
小さな町でありながら、こうした自然と文化、地元産業が息づく環境の中で過ごした日々は、小峠さんの土台をつくる大切な時間だったと言えるでしょう。
テレビで時折実家や地元の話題に触れる姿からは、大任町に対する愛着がにじみ出ています。
特に、笑いを生むトークの中にも、地元の風景や人々の暮らしがさりげなく織り込まれていることがあり、聞いている側もどこかあたたかな気持ちになります。
静かで素朴な町並みが、今の小峠さんの人間味やユーモアの原点になっているのかもしれません。
実家の存在が紹介されたことで、大任町そのものも注目を集めるようになり、観光やふるさと納税の文脈でも話題になる機会が増えてきました。
地元で育った背景を活かしながら、自身のキャリアと向き合い続ける小峠さん。
その根っこにある「実家」という存在は、今なお彼にとって特別な場所であり続けているようです。
小峠英二(バイきんぐ)の生い立ち
天才か🥰
— Uモンキー (@U_monkey2) May 1, 2024
小峠英二のステマやめろ🥰 pic.twitter.com/EeRjfvx3Xx
小峠英二さんは、1976年6月6日に福岡県田川郡大任町で生まれました。
のどかな自然に囲まれた町で育ち、幼い頃から興味を持ったものにはとことん夢中になるタイプだったといいます。
特に印象的なのは、小学生の頃に映画『ランボー』に熱中し、真似をして山に入り込むほどの没入ぶりを見せていたというエピソード。
エアガンを片手に“ミッション”を遂行していた当時の様子は、すでにその頃から独特な感性が育まれていたことを感じさせます。
友達と遊ぶ中でも、ただ遊ぶだけでなく「どうしたら面白くなるか」を考えていたようで、周囲を笑わせることが自然と日常の一部になっていたようです。
ラジオ体操に毎日通ってスタンプを集めたものの、景品が2色ボールペンだったという体験を「人生初の“なんて日だ!”」と語っていたことからも、当時の出来事が後の芸風にもつながっていることがわかります。
高校時代になると、笑いへの興味はさらに深まり、仲間と一緒に「負けたら一枚ずつ服を脱ぐ」というようなユニークなゲームに熱中していたそうです。
型にはまらず、人を驚かせたり笑わせたりすることに快感を覚える感覚はこの頃すでに出来上がっていて、まさに芸人としての素地が育っていた時期だったと言えるでしょう。
高校卒業後、小峠さんは迷わずお笑いの道を選びます。
周囲が大学進学などを考える中で、自らの意思でNSC(吉本総合芸能学院)を目指し、人生をかけて挑戦する決断を下しました。
その選択の背後には、幼い頃から一貫して「面白いことが好きだった」自分を信じる強さがあったのかもしれません。
静かな田舎町で育まれた感受性と、地元で積み重ねた笑いの体験が、今の小峠英二さんの原点となっています。
小峠英二(バイきんぐ)の父親
小峠英二さんのお父さんの名前は、小峠豊秋さんです。
一般の方ということもあり、職業や詳しいプロフィールなどは公には明かされていませんが、小峠さんが時折ラジオ番組やインタビューで語るエピソードから、その人柄が少しずつ垣間見えてきます。
なかでも印象的なのが、2021年10月頃に語られた“家族が25年ぶりに一堂に会した”という話。小峠さんのお父さんが自宅の廊下で転倒し、頭を打って入院したことがきっかけでした。
この出来事をきっかけに、小峠さんを含めた家族全員が病院に集まりました。
それが実に四半世紀ぶりの“全員集合”だったというのですから、日常のなかではなかなか訪れない特別な機会だったことが伝わってきます。
お父さんは病室で、涙ながらに「俺はもっと生きてぇ!」と口にしたそうです。
この言葉には、家族への思いやこれまでの人生の重み、そしてまだまだ生きていたいという強い気持ちがにじんでいました。
普段は多くを語らないタイプのお父さんが、家族の前で涙を見せる姿に、小峠さん自身も強く心を動かされた様子でした。
この話は、TBSラジオ『おぎやはぎのメガネびいき』で本人の口から語られ、リスナーの間でも「普段見せない感情にグッときた」「家族を大切にする小峠さんの一面に感動した」と反響が広がりました。
芸人としてハードな道を歩んできた小峠さんにとって、家族、とりわけお父さんの存在は常に背中を押す支えになっていたのかもしれません。
直接的に語られることは少なくとも、その絆の深さが滲み出るような一幕でした。
小峠英二(バイきんぐ)の母親
小峠英二さんのお母さんは、千鳥(ちどり)さんというお名前です。
一般の方なので職業など詳細は公表されていませんが、千鳥さんの存在は小峠さんのトークやラジオでたびたび優しくも力強く描かれています。
たとえば、野球部を辞めたかった中学時代、「辞めるなんてダメ!」ときっぱり言い切ったのも千鳥さん。
本人が何度も語っており、その強い言葉が小峠さんの「粘り強さ」の原点になっているようです。
高校時代、NSC(吉本総合芸能学院)受験を視野に入れたときにも、最初は反対しつつも「不合格なら戻っておいで」と優しく条件付きで応援する形に。
厳しさの裏にある受容の姿勢が、小峠さんの自信を支え、今では母のやさしい叱咤として芸風にも深みを与えているように感じられます。
テレビ出演こそ少ないものの、千鳥さんはユーモアのある家庭環境をつくり、トークテーマとしても度々登場。
家族内のやりとりからは、千鳥さんと小峠さんの素朴な“共感力”や“自然な笑い”が滲み出ており、その影響は芸人としての本質にも繋がっています。
舞台裏には、見えないけれど確実に存在し続ける母の愛が息づいているのです。
小峠英二(バイきんぐ)の兄弟や姉妹
小峠英二さんには、お兄さんと弟がそれぞれ1人ずついます。
ただし、ご家族は一般の方であり、名前や職業など詳しいプロフィールは公にされていません。
小峠さん自身も、プライバシーへの配慮からか兄弟に関する情報を積極的に語ることは少ないものの、テレビやラジオで時折家族とのエピソードが紹介されることがあります。
その中には、兄弟とのちょっとしたやりとりから、小峠さんの素朴な感情や家族に対する愛着が垣間見える瞬間もあります。
たとえば、家族が久しぶりに集まった場面で、お母さんと弟が楽しそうに盛り上がっている様子を見て、小峠さんが思わず驚いたという話があります。
普段あまり会話するイメージのなかった2人が笑顔で会話しているのを見たことで、少し寂しさや距離感を感じたのかもしれません。
また、実家の庭にある木についても印象的なやりとりがありました。
長年「梅の木」だと思い込んでいたその木が、実は桜だったと判明した瞬間、小峠さんは驚いたものの、お兄さんのあまりにも淡々としたリアクションに思わずイラッとしたそうです。
この小さな違和感やリアクションの食い違いも、兄弟ならではの距離感や関係性を物語っているように感じられます。
普段はあまり会う機会がないと語る小峠さんですが、そうした“家族あるある”的なやりとりを笑いに昇華して話せるのは、関係性にどこか安心感がある証拠でもあります。
たとえ頻繁に連絡を取り合っていなくても、いざという時には支え合える、そんな自然体の家族関係が感じられます。
家族にまつわる出来事をあくまで日常の一部として語る小峠さんの姿からは、兄弟との距離感も含め、家族を大切に思う気持ちがしっかりとにじみ出ています。
情報が限られている中でも、こうしたエピソードの一つひとつが、小峠さんと兄弟との関係を静かに物語っているようです。
まとめ
小峠英二さんは、福岡県田川郡大任町で育ち、大任小学校・大任中学校・東鷹高校と、地元の学校に通ってこられました。
大学には進学せず、高校卒業後すぐにお笑いの道へ進んだという決断力からも、芯のある性格がうかがえます。
また、ご家族はお父さん・お母さん・お兄さん・弟さんとの5人家族。
実家にまつわるエピソードや、久しぶりに家族全員が集まったという心温まる話からは、表には出さずとも大切に思い合っている関係性が伝わってきました。
学生時代から育まれてきた感性や家族との日常が、今の小峠さんのユニークな魅力や表現力につながっているように感じた方も多いのではないでしょうか。
これからも、そんな人間味あふれる小峠英二さんの活躍に注目していきたいですね。
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