楳図かずおさんといえば、独自のスタイルで日本のホラー漫画に革命を起こした人物です。
その一方、結婚歴や家族について謎が多く、「まことちゃんハウス」と呼ばれる自宅も話題が尽きません。
しかし、楳図かずおさんの結婚や子供についての真相、異彩を放つ自宅の現状、年収や遺産の行方など、実際にはどうなっているのでしょうか?
この記事を読み進めることで、楳図さんのプライベートな一面や、長年支持される理由が浮かび上がってきます。
楳図かずおさんの独特な世界観と、その裏にある生き方について知ることで、彼の作品がもっと身近に感じられるようになるはずです。
楳図かずおの死因
楳図かずおさんの死因は「胃がん」でした。
楳図さんは2024年11月5日に88歳で亡くなり、その独自の作品群と、漫画界への貢献により多くのファンや関係者から惜しまれています。
2014年、楳図さんは「慢性硬膜下血腫」という病気を患い、頭部に血が溜まる状態に陥りました。
この症状により、彼は緊急手術を2回受け、右側から190cc、左側から250ccの血を除去したと報告されています。
手術後、奇跡的な回復を見せ、復帰を果たしました。
この大手術以来、楳図さんの露出は減少していますが、2022年には展覧会で新作を発表し、健在であることを証明しています。
楳図かずおの家といえば「まことちゃんハウス」
楳図かずおさんが2007年に吉祥寺に建てた「まことちゃんハウス」は、赤と白のストライプ柄の外壁が目を引くユニークなデザインで有名です。
この家は漫画『まことちゃん』にちなんで名付けられ、楳図さんの個性的な世界観を象徴する建物です。
しかし、その派手な外観は周囲の景観に合わないとされ、一時は近隣住民から訴訟も起こされましたが、楳図さんが勝訴しました。
「まことちゃんハウス」は放置されていた
裁判後も楳図かずおさんはこの家を頻繁には利用しておらず、現在では草木が伸び放題の状態になっているとされています。
訴訟騒動で近隣住民との関係などもあり、「まことちゃんハウス」に行く気にならなかったそうです。
自身は、現在では近くのマンションに住んでおり、「まことちゃんハウス」はほぼ放置された状態になっているようです。
楳図かずおさんが亡くなって、今後「まことちゃんハウス」がどのようになるのかも気になるところですね。
楳図かずおの自宅
楳図さんのもう一つの拠点として八王子の自宅も挙げられます。
この家は吉祥寺の「まことちゃんハウス」とは異なり、黄色を基調とした一軒家で、彼のもう一つの活動拠点とされています。
最近ではこちらの家もあまり利用されていないとされていますが、彼の存在感は八王子でも話題でした。
楳図かずおさんが実際に生活しているのは、「まことちゃんハウス」からほど近いマンションです。
吉祥寺の「まことちゃんハウス」が完成したものの、その独特なデザインが原因で訴訟問題に発展し、周囲の注目が集まりすぎてしまったため、日常生活の場として利用するには難しい部分があったようです。
その結果、楳図さんは自宅兼事務所として、吉祥寺のマンションで暮らすことを選びました。
マンションの生活はシンプルで、仕事場としての利便性がありながらも、静かに暮らせる環境が整っています。
楳図さんは普段から赤白のストライプ柄の服を好んで着用しており、マンション近辺でもその姿を見かけることがあるようです。
このマンションでは、インタビューや取材対応なども行っているため、現在の活動拠点としての機能も果たしています。
楳図かずおは結婚してる?嫁や子供は?
楳図かずおさんは長年、独特のスタイルと個性で多くのファンを惹きつけてきましたが、プライベートな面についてはあまり知られていません。
特に「結婚しているのか?」「子供はいるのか?」といった点は、多くのファンにとって気になるところでしょう。
実は、楳図さんは現在も独身で、過去にも結婚歴はありません。
楳図かずおさんは、女性経験がないいわゆる童貞であることでも有名でした。
本人も「自分の好きな生活スタイルを楽しむのが最も大切」としており、奥さんや家族を持つことよりも、自由な創作活動や独自の人生を優先しているようです。
また、楳図さんが象徴的な赤と白のボーダー模様にこだわるように、その独特な美的感覚や自由な生き方は、結婚や家庭生活に適していなかったのかもしれません。
「まことちゃんハウス」としても有名な自宅も、彼の個性を表現する場であり、家庭よりも自分の理想を追求する場といった意味合いが強いです。
楳図さんは人生においても、常に“自分らしさ”を大切にしてきた芸術家としてのこだわりを貫いていると言えるでしょう。
楳図かずおの代表作
楳図かずおさんの代表作は、日本のホラーやサスペンスのジャンルに革新をもたらした数々の名作で構成されています。
ここでは、その中でも特に人気があり、評価の高い作品をご紹介します。
漂流教室
「漂流教室」は、楳図かずおさんを代表するサバイバルホラー作品です。
1972年に連載が始まり、小学校が突如未来の荒廃した砂漠地帯に飛ばされるという衝撃的な設定からスタートします。
無法地帯となった世界で、子供たちが極限状態の中で生き抜こうとする姿を描き、人間の本性が浮き彫りにされます。
極限の恐怖だけでなく、サスペンスやドラマとしても非常に深いテーマが込められ、映画やドラマ化もされるほど人気です・
まことちゃん
楳図さんのもう一つの代表作「まことちゃん」は、ホラーとは異なるギャグ漫画で、1976年から連載されました。
「グワシ!」のポーズが大流行し、漫画好き以外にも一世を風靡しました。
主人公のまことが繰り広げる奇想天外なギャグの数々は、当時の子供たちの間で大ヒットとなり、キャラクターとしての「まことちゃん」も日本のポップカルチャーに大きな影響を与えました。
わたしは真悟
1980年代に連載された「わたしは真悟」は、ロボットが自我を持ち、愛や存在について模索するというテーマが特徴的なSF作品です。
町工場の産業用ロボット「真悟」が、ある少女に恋をしながら進化していく姿を描きます。
この作品は、人工知能や自己意識の問題など現代にも通じるテーマが多く、国内外で高い評価を得ました。
楳図さんの深い哲学的な側面が色濃く反映され、物語としての完成度も高く、今なお多くのファンに愛されています。
洗礼
「洗礼」は、人間の狂気と美への執着をテーマにしたサイコホラーです。
母が娘に自分の若さと美貌を継がせようと、脳移植を企むという不気味なストーリーで、繊細な心理描写と狂気の展開が見どころです。
登場人物の心理的な葛藤や異常な愛情の形が生々しく表現されており、1996年には映画化もされました。
楳図さんのホラー作品の中でも屈指の名作として知られています。
楳図かずおさんの作品は、単なるホラーやSFにとどまらず、読者に人間や社会の奥深さを考えさせるテーマが詰まっています。
それぞれの物語が異なる魅力を持ち、彼の代表作は一度読み始めたら忘れられない衝撃を与えてくれることでしょう。
楳図かずおのプロフィールや経歴
名前:楳図 かずお(うめず かずお)
生年月日:1936年9月3日(または9月25日)
出身地:和歌山県高野町(育ちは奈良県五條市)
職業:漫画家、映画監督
ジャンル:ホラー漫画、ギャグ漫画
代表作:『漂流教室』『おろち』『神の左手悪魔の右手』『まことちゃん』『わたしは真悟』
デビュー年:1955年、貸本漫画『森の兄妹』『別世界』
受賞歴:アングレーム国際漫画フェスティバル遺産賞(『わたしは真悟』)、文化庁長官表彰など
活動の特徴:ホラーとギャグの融合や独創的な作風で「恐怖マンガ」のパイオニアとされる。漫画のみならず映画監督としても活動し、独特の世界観で知られる。
楳図かずおさんは、日本のホラー漫画の第一人者として知られる漫画家です。
1936年9月3日、和歌山県高野町で生まれ、その後奈良県で育ちました。
幼少期から絵に親しみ、小学校5年生の時に手塚治虫さんの『新宝島』に影響を受けて、漫画家を志すようになりました。
高校卒業後は、貸本漫画でプロデビューを果たし、徐々に注目を集めます。
その後、週刊少年サンデーなどで連載を始め、ホラーとギャグを融合させた作風で大きな話題となりました。
「口が耳まで裂ける」という斬新な設定を描いた作品では、ホラー漫画の新たな道を切り開き、やがて「恐怖マンガ」というジャンルの確立者と称されるようになります。
楳図さんの代表作には、『漂流教室』『おろち』『神の左手悪魔の右手』など、恐怖の中に人間の心の奥底に潜む感情を描いたものが多く含まれています。
また、「まことちゃん」のようなギャグ作品もあり、その多彩な表現力で幅広いファンを獲得しました。
さらに2014年には、自ら監督を務めた映画『マザー』を発表するなど、漫画の枠を超えた創作活動にも意欲的です。
長いキャリアの中で数々の賞を受賞し、特に『わたしは真悟』は2018年にフランスのアングレーム国際漫画フェスティバルで遺産賞を受賞しました。
このように国内外での評価が高く、今もなお「楳図かずお展」などで彼の作品が展示され、多くのファンを魅了し続けています。
2024年10月28日、胃がんのため亡くなりました。
楳図かずおの本名
楳図かずおさんの本名は「楳図一雄(うめず・かずお)」です。
彼は幼少期から「かずお」という名前で親しまれていましたが、プロとしてのデビュー以降は「楳図かずお」の名前で作品を発表。
ファンの間ではこのペンネームが強く浸透しています。
初期には別名義で「山路一雄」や「ウメヅカズヲ」などの名も使用していましたが、最も知られる「楳図かずお」の名義で活動し、独自のスタイルを確立しました。
楳図かずおの年収や印税
楳図かずおさんは、多くのヒット作を持つホラー漫画家としてのキャリアが長く、著作権収入や印税だけでもかなりの収入を得ていると考えられます。
2003年には、当時の納税額が1,470万円にのぼることが話題となり、その頃の収入は数千万円規模だったとされています。
楳図さんの収入の柱は、印税や過去作品のリバイバル、映画やドラマ、グッズ化に伴う版権収入です。
特に「漂流教室」「まことちゃん」「わたしは真悟」といった代表作は、コミックス化や電子書籍の需要も高く、現在も安定した印税収入を生み出していると考えられます。
さらに、2023年には「楳図かずお大美術展」も開催され、こうしたアート活動を通じた収益も増えている可能性があります。
また、国内外での楳図作品の人気は根強く、今後も印税や版権収入が持続的に見込まれています。
年収は、現役で執筆を続ける漫画家と異なり、過去の作品による安定収入が中心のため、推定で数千万円以上と言われることが多いようです。
楳図かずおの遺産はどうなる?
楳図かずおさんには結婚歴がなく、また子供もいないため、遺産の相続先については不確かな点が多いのが現状です。
楳図さんの資産には、赤白ストライプの「まことちゃんハウス」をはじめ、八王子にあるもう一つの住宅も含まれています。
とくに「まことちゃんハウス」はその独特な外観で注目を集め、ファンにとっても象徴的な建物ですが、近年は訪れることも少なくなり、将来的にどう扱われるのかが関心の的です。
また、楳図かずおさんが手がけてきた漫画作品の著作権も、遺産としては重要なものになります。
長年にわたり「恐怖漫画の巨匠」として国内外で高い評価を受けており、作品は美術展やアートイベントなどでもたびたび展示されています。
このため、遺産の一部が文化財として保存・活用される可能性も考えられます。
楳図かずおさんの作品と個性は、単なる財産以上の意味を持つといえます。
今後、どのような形でその遺産が次世代へと引き継がれていくか、ファンの間でも注目が集まっている状況です。
まとめ
楳図かずおさんは、恐怖漫画という独自のジャンルを確立し、多くのファンを持つ存在です。
生涯独身で結婚や子供を持たず、自身の独創的な世界観を貫き通しています。
今後もその功績は、日本の漫画文化の一つとして長く語り継がれていくことでしょう。