名バイブレーヤーとして知られている俳優の光石研さんは、何がきっかけで俳優になったのでしょうか。
高校や大学はどこの学校に通い、どんな家庭で育ったのでしょうか。
今回は、光石研さんの経歴や出身学校、家族などについて調べてみました。
光石研のプロフィールや経歴
生年月日:1961年9月26日
血液型:A型
出身地:福岡県
身長:173cm
趣味:音楽鑑賞、絵画
所属事務所:鈍牛倶楽部
高校在学中の16歳の時、友人に誘われて映画『博多っ子純情』のエキストラオーディションを受けたところ、いきなり主演に抜擢されデビューを果たしました。
高校卒業後に上京し俳優としての道を歩んでいこうとするも、安定した収入は得られず、2時間ドラマの出演で食いつなぐ日々が続いていきます。
メジャーな作品にも出演することはあったものの、それは事務所の先輩である緒形拳さんのバーター出演であったことが多かったそうです。
30代半ばの1996年、緒形拳さんが出演した映画『ピーター・グリーナウェイの枕草子』に出演すると新鋭の映画監督の作品に出演するようになりました。
1998年には映画『シン・レッド・ライン』のオーデションに合格し、ハリウッドデビューを果たしています。
2019年には、俳優人生40年にして『デザイナー渋井直人の休日』でドラマ初主演を務めました。
光石研の所属事務所
光石研さんの所属事務所は、「鈍牛倶楽部」です。
こちらの事務所は1977年に設立され、現在はオダギリジョーさん、長塚圭史さん、田中哲司さん、西田尚美さんらも在籍しています。
光石研の年収
光石研さんの年収は公表されていません。
毎年多くのドラマや映画に出演し、何十年も俳優としての活動を続けています。
そのため年収は数千万円ほどになるのではないかと思われます。
光石研の学歴
光石研さんが通っていた学校について調べてみました。
光石研の出身中学
光石研さんは、北九州市立黒崎中学校出身です。
「すぐレギュラーになれそう」という理由で、テニス部に在籍していました。
光石研の出身高校
中学校卒業後は、東海大学付属第五高等学校(現・東海大学福岡高等学校)に進学しました。
現在の偏差値は、42~56です。
高校時代はパンチパーマの友人と学校をサボって遊んでいた時期もあったそうです。
光石研さんは在学中に俳優デビューしましたが、この時は学業を優先し芸能活動はセーブしていました。
光石研の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
光石研さんは映画に出演したことが楽しかったため、その時から「役者で生きて行こう」と決めていたのだそうですよ。
光石研の実家
光石研さんは、福岡県北九州市八幡西区出身です。
実家の詳しい場所が公表されていませんが、あるインタビューで「実家は黒崎駅の近くにあった」と話していました。
ただ今はそこに実家はないようです。
光石研の生い立ち
1961年9月26日に誕生した光石研さんは、幼い頃はシャイな性格で、さらに小柄でイケてなかったため、夢を持たず、恋愛とも無縁の生活を送っていました。
高校生の時に映画『博多っ子純情』のオーディションを受けましたが、両親は反対しませんでした。
光石研さんにやりたいことが見つかって、喜んでいたそうです。
その後売れない時期が続いたものの、30歳を過ぎてオファーがたくさん来るようになり、今も役者業を続けています。
光石研の父親
光石研さんのお父さんは、一般人です。
名前や年齢、顔写真は公開されていません。
お父さんの職業は、八幡製鉄所のサラリーマンでした。
とても破天荒な性格で、雪崩に2回も遭遇したことがあるそうですよ。
しかし家では厳しく、光石研さんはいつもお父さんに怒られていました。
光石研の母親
光石研さんのお母さんも一般人です。
お父さんと同じく顔写真や名前などの情報はありませんでした。
光石研の兄弟や姉妹
光石研さんは、ひとりっ子です。
そのため兄弟はいません。
まとめ
夢を持つことがなかった少年は、オーディションをきっかけに演技の魅力にハマり、その後売れない時代を経験しながらも諦めずに演技の道を歩み、「人気俳優の光石研さん」になりました。
コミカルな演技もシリアスな演技もこなせる光石研さんだからこそ、これからの活躍も期待していきたいですね。
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