歌舞伎役者の中村勘九郎さんと七之助さんは、歌舞伎一家という環境で生まれ育ってきました。
お父さんも歌舞伎役者として活動していましたが、お母さんはどんな人なのでしょうか。
今回は、中村勘九郎さんと七之助さんの家族について調べてみました。
中村勘九郎と中村七之助の家系図がすごい!
中村一族の家系図早見半端なくわかりやすい。これでお勉強することにする。(拾い画)
— さぶかる🦋 (@M_hana_Mb) August 20, 2018
なるほどね。17代目勘三郎世代が3人兄弟でこっから別れて3代目時蔵がめっちゃ子宝にめぐ割れたせいで現世代の人数えぐいことなってんだな。またこっから播磨屋だの、萬屋だので訳わかんないわw(結局わかんない) pic.twitter.com/VEECRcgkHJ
中村勘九郎さんと七之助さんの父方の祖父は十七代目中村勘三郎さん、母方の祖父は七代目中村芝翫さんです。
父方の伯母は女優の波乃久里子さん、六代目尾上菊五郎は父方の母方の曽祖父で、大伯父(大叔父)は七代目尾上梅幸さん、二代目尾上九朗右衛門さん、二代目大川橋蔵さんです。
さらに祖父母同士が兄弟という繋がりから女優の寺島しのぶさんと五代目尾上菊之助さん、二代目尾上右近さんとは再従兄弟という関係になり、母方の叔父には九代目中村福助さんと八代目中村芝翫さんがおり、六代目中村児太郎と四代目中村橋之助は母方の従兄弟にあたります。
ネット上では多くの歌舞伎役者と繋がっていることから「家系図が分からなくなる」、「中村家が凄すぎる」という声が挙がっていました。
中村勘九郎と中村七之助の実家
中村勘九郎さんと七之助さんの実家は、東京都文京区にあります。
3階建てで1階部分が稽古場となっており、今でも二人はここで生活しているそうですよ。
中村勘九郎と中村七之助の生い立ち
中村勘九郎・七之助ら中村屋一門が歌舞伎公演をライブ配信、勘太郎・長三郎も登場https://t.co/iIFHdD2Apr pic.twitter.com/a04rRDkMP8
— ステージナタリー (@stage_natalie) June 28, 2020
1981年10月31日に誕生した中村勘九郎さんは、1986年1月に歌舞伎座『盛綱陣屋』の小三郎役として初お目見得、1987年1月の歌舞伎座『門出二人桃太郎』で兄の桃太郎役として二代目中村勘太郎襲名し初舞台を踏みました。
2012年2月には新橋演舞場でお父さんの前名の「中村勘九郎」を六代目として襲名しています。
1983年5月18日に誕生した中村七之助さんは、1987年1月の歌舞伎座『門出二人桃太郎』の弟桃太郎で二代目中村七之助を名乗り初舞台を踏みました。
共に歌舞伎の子として誕生しましたが、お父さんからは強制されたことはなく、芝居のこと以外では自主性を大切にしてくれたため自らの意思で歌舞伎の世界に入ったそうです。
中村勘九郎と中村七之助の父親
#nichiten 18代目中村勘三郎さん。本名は波野さん。 pic.twitter.com/4B2vlyI2e9
—🌊 (@mari_fortepiano) June 19, 2022
中村勘九郎さんと七之助さんのお父さんは、十八代目中村勘三郎さんです。
中村勘三郎さんは、1959年4月の歌舞伎座『昔噺桃太郎』の桃太郎で五代目中村勘九郎を襲名して初舞台を踏み、2005年3月3日の歌舞伎座『鬼一法眼三略巻』「一條大蔵譚」の一條大蔵卿、『近江源氏先陣館』「盛綱陣屋」の佐々木盛綱ほかで十八代目中村勘三郎を襲名しました。
歌舞伎の舞台だけではなくドラマや映画、バラエティー番組にも多数出演していました。
しかし2012年12月、急性呼吸窮迫症候群のため亡くなっています。
中村勘九郎と中村七之助の母親
『中村勘三郎最期の131日 哲明さんと生きて』重版出来! 昨年亡くなられた中村勘三郎さんの知られざる闘病の日々を、傍らで支え続けた最愛の夫人が綴った渾身
— 集英社文芸書 (@shueisha_bungei) December 19, 2013
の手記です 。 pic.twitter.com/xIMLyePN3T
中村勘九郎さんと七之助さんのお母さんは、波野好江さんと言います。
お母さんは歌舞伎役者・七代目中村芝翫の次女として誕生し、1980年11月に五中村勘三郎さんと結婚しました。
2013年には『中村勘三郎最期の131日 : 哲明さんと生きて』を出版しています。
まとめ
お父さんだけではなくお母さんも歌舞伎の子供として誕生していることから、中村勘九郎さんと七之助さんは多くの方と血縁関係があります。
これからも中村屋の歌舞伎役者として、活躍し続けてほしいですね。