年間50本以上の字幕翻訳を手掛け、トム・クルーズさんらの通訳も長年務めてきた戸田奈津子さんは、どんな人なのでしょうか。
どこの学校に通い、英語を身につけたのでしょうか。
今回は、戸田奈津子さんの経歴や出身学校などについて調べてみました。
戸田奈津子が翻訳した作品
戸田奈津子さんがこれまでに翻訳した主な作品はこちらです。
地獄の黙示録(1979年)
インディ・ジョーンズ E.T.(1982年)吹き替え翻訳も担当
トッツィー(1982年)
戦場のメリークリスマス(1983年)
007 オクトパシー(1983年)- 007 ノー・タイム・トゥ・ダイ(2021年)
ゴーストバスターズ(1984年)
グレムリン(1984年)吹き替え翻訳も担当
バック・トゥ・ザ・フューチャー ショート・サーキット(1986年)
ショート・サーキット2 がんばれ!ジョニー5(1988年)
危険な情事(1988年)
ダンス・ウィズ・ウルブズ(1990年)
ホーム・アローン(1990年)
シザーハンズ(1990年)
ターミネーター2(1991年)
シンドラーのリスト(1993年)
ジュラシック・パーク(1993年)
フォレスト・ガンプ/一期一会(1994年)
今そこにある危機(1994年)
スピード(1994年)
ジャングル・ブック(1994年)
ベイブ(1995年)
アポロ13(1995年)
マディソン郡の橋(1995年)
セブン・イヤーズ・イン・チベット(1996年)
評決のとき(1996年)
エアフォース・ワン(1997年)
タイタニック(1997年)
アルマゲドン(1998年)
不夜城(1998年)
スター・ウォーズ(新3部作)
ブリジット・ジョーンズの日記(2001年)
ハリー・ポッターと賢者の石(2001年) – ハリー・ポッターと炎のゴブレット(2005年)
ロード・オブ・ザ・リング (2001年)
シカゴ(2002年)
ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔(2002年)
ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還(2003年)
ビッグ・フィッシュ(2004年)
M:i:III(2006年)
ワールド・トレード・センター(2006年)
ダイ・ハード4.0(2007年)
ボーン・アルティメイタム(2007年)
ナイト ミュージアム(2007年)
アバター(2009年)
ラブリーボーン(2010年)
バトルシップ(2012年)
キャプテン・フィリップス(2013年)
ジュラシック・ワールド(2015年)
ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション(2015年)
007 スペクター(2015年)
インデペンデンス・デイ: リサージェンス(2016年)
ジェイソン・ボーン(2016年)
インフェルノ(2016年)
ジャック・リーチャー NEVER GO BACK(2016年)
ザ・マミー/呪われた砂漠の王女(2017年)
ジュラシック・ワールド/炎の王国(2018年)
ミッション:インポッシブル/フォールアウト(2018年)
007/ノー・タイム・トゥ・ダイ(2021年)
トップガン マーヴェリック(2022年)
ジュラシック・ワールド/新たなる支配者(2022年)
有名作品はほとんど戸田奈津子さんが字幕翻訳を手掛けているとも言えますね。
戸田奈津子の英語力は留学?帰国子女?
戸田奈津子さんは、帰国子女ではなく、留学経験もありません。
中学生のころから学校の授業で英語を始め、ラジオを聴くなどして英語を取得しました。
元々「映画字幕の仕事がしたい」という思いはあったものの、戸田奈津子さんが若い頃は英語が溢れている時代ではなかったため、学校で基礎を学び、ラジオで音楽を聴きながら歌詞を書くなどするしかなかったそうです。
戸田奈津子の学歴
戸田奈津子さんが通っていた学校について調べてみました。
戸田奈津子の出身小学校
戸田奈津子さんは、お茶の水女子大付属小学校出身です。
小学生の頃は戦争時代でした。
終戦後、戸田奈津子さんはお母さんと映画館で映画を観るようになりました。
戸田奈津子の出身中学
小学校卒業後は、お茶の水女子大学附属中学校に進学しました。
現在の偏差値は、72です。
中学になると一人で映画を観るようになり、次第に映画字幕の仕事に夢を抱くようになりました。
英語の授業は1年生の時は基本的なものだけでしたが、2年生からは先生が変わり授業の内容もガラリと変化したため辞書を引きながら英文を作ることが楽しかったそうです。
戸田奈津子の出身高校
中学校卒業後は、お茶の水女子大学附属高等学校に進学しました。
現在の偏差値は、78です。
高校時代はお小遣いに限りがあったため、名画座や三本立て映画に多く通っていました。
映画雑誌やラジオ番組の試写会無料招待にも、片っぱしから応募していたそうですよ。
戸田奈津子の出身大学
高校卒業後は、津田塾大学に進学しました。
戸田奈津子さんは学芸学部英文学科に在籍、現在の偏差値は47.5です。
大学時代はニューヨークから来たバレエ団の通訳をしており、ここで初めて英語の会話に触れました。
また、学校に行くよりも映画館に行くことの方が多かったと明かしています。
戸田奈津子は保険会社のOLだった
大学卒業後、戸田奈津子さんは第一生命保険の秘書になりました。
英語の手紙の処理や外国からのお客様を迎える会食やパーティで案内、通訳をしていたそうですが、仕事量は多くなく、戸田奈津子さんにとってはオフィスにいることが退屈で苦痛だったそうです。
そのため映画字幕の仕事を目指し、1年半で退職しています。
戸田奈津子のプロフィールや経歴
最近CMでも話題になっている字幕翻訳者の戸田奈津子さん。新卒で入った保険会社の秘書を辞めてから字幕翻訳者になるまで20年。安定していた新卒の仕事を捨て叶う保証のない夢を追いかけるという選択に「後悔はひとつもない」と言い切れる戸田さんは本当にかっこいい✨なぜ後悔がないのかそれは pic.twitter.com/A4vgzvVcAi
— エリー💎好きで稼ぐ副業ソムリエ社長 (@Erika_BScreater) August 10, 2023
名前:戸田奈津子
生年月日:1936年7月3日
出身地:福岡県生まれ、東京都育ち
血液型:非公開
身長:非公開
第一生命保険の秘書を辞めてから映画会社でアルバイトをしていた戸田奈津子さんは、ある時映画評論家の水野晴雄さんから「『アリスのレストラン』のプロデューサーが来日するから通訳してちょうだい。あなた、英語ができるんでしょ」と声をかけられました。
英語力がそれほどなかった戸田奈津子さんは断ったものの、気づけば記者会見のひな壇に座らされていたそうです。
この時の戸田奈津子さんの通訳は「無我夢中で、しどろもどろで、ヘタだった」ものの、このことがきっかけで通訳の仕事が増えていき、1970年には『野性の少年』で初めて字幕翻訳を任されました。
そして1979年に『地獄の黙示録』本編が完成した際に監督の推薦により日本語字幕を担当、この仕事で字幕翻訳家と広く認められるようになりました。
1992年には第1回淀川長治賞、1995年に第4回日本映画批評家大賞・特別賞、2015年に第36回松尾芸能賞・特別賞など、これまでに多くの賞も受賞しています。
さらに2008年10月には神田外語グループアカデミックアドバイザーに、2011年には神田外語大学客員教授に就任しました。
戸田奈津子の所属事務所
戸田奈津子さんは、芸能事務所に所属していません。
映画字幕やメディアの仕事は、個人で受けているのだと思われます。
戸田奈津子の年収
戸田奈津子さんの年収は公表されていません。
映画字幕翻訳の仕事は、1本40~50万円だといわれています。
戸田奈津子さんはこれまでに多くの作品を手掛けているということもあり、年収は数千万ほどになるのではないかと言われています。
まとめ
中学から英語の勉強を始め、今ほど英語が溢れていない中で努力し続けてきた戸田奈津子さんは、40代で夢を叶えることが出来ました。
今後も戸田奈津子さんの活躍に注目していきたいですね。